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板倉重宗に学ぶ 超一流の仕事の引継ぎ

職務を全うするということは、必ずしも目の前の仕事を完遂することとイコールではないよねって話。

江戸幕府、京都所司代という役職がありました。

その職責は京都の統治、近畿地方の行政の統括、朝廷との折衝、西国諸大名の監視……って、やること多すぎじゃね?
とにかく江戸幕府の西国支配の要となる重職だったんですが、江戸時代の初めごろは板倉重宗という人が務めていました。

板倉さんは名所司代としての評判が非常に高く、30年以上に渡って京都所司代を務めましたが、歳も歳だしってことでいよいよ退任することに(既に70歳近い高齢でした)。

そんな板倉さんの目の前には、難しい訴訟案件が残っていました。

もう辞めるんだから面倒な仕事は後任に任せよう、と考えるのは二流。
きれいに片づけて去っていくのは一流。
では板倉さんはどうしたかというと……

超一流の仕事術

彼は事件の背景を調査し、しっかりと吟味して判決文を書き上げ、引継ぎ資料も作成し、そして京都所司代の職を辞しました。

後任の所司代は残された判決文を読み上げ、見事訴訟を解決。
すると京の人たちは

「板倉さんですら解決できなかった難事件を着任早々解決するなんて。もしかしたら板倉さん以上の人材が現れたのか!?」

新所司代の評判は高まり、仕事もやりやすくなったのでした。

自分の仕事をきっちりこなすだけでなく、次の人のことまで考えられたら超一流だよねって話。
ある意味手柄を譲ることになるので、なかなかできることではありません。

なお、京都所司代を退いた板倉さんはしばらく京で後任の面倒を見たあと江戸に戻って幕政に参画。
保科正之(3代将軍家光の異母弟)や井伊直孝(徳川四天王・直政の息子)並みに重用されたそうです。
さすがとしか言いようがない。


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