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タバコのあれこれ、世の中の変化を感じる

 昨日入った飲食店はこれまで喫煙ルームなどなかったのだけれど、いつも陣取る奥の席の近くに喫煙ブースができていて一瞬眉を顰めた。

「え、もしかしてブースの周辺タバコ臭い?」といつもの席に座るかどうかを瞬間迷ったが、落ち着いて時間を過ごすにはその席は私にとって重要だった上に、ブースがせりだしていたために、ちょうどその席も個室感が出ていて尚更居心地が良さそうだった。

「まあ、どうしても無理なら移ればいい」と思いながらその席に座り注文していたものが届くのを待った。

 喫煙ブースは1人しか入れない公衆電話ボックスのような大きさで、実際にその時に女性が使っていたけれど、匂いが漏れ出るということはなかった。換気・集煙システムが素晴らしいのだろう。

 喫煙できる店も減り、世間ではタバコの匂いを感じることは10年以上前と比べて少なくなったと感じる。感じるタイミングとしては、駅近くの喫煙所のそばを通る時ぐらいだ。

 そういえば、今は紙タバコよりも電子タバコを吸う人が多くなっている印象はある。駅前の喫煙所でも万年筆のような形の棒をストローを吸うように咥え、口から蒸気の煙をだしている人を複数人見かける。

 紙のタバコが健康に良くないという意識はあるけれど、電子タバコはどうなんだろう。どちらにしても匂いからは決して吸いたいと思える物ではないのだけれど、納豆や臭豆腐やパクチーのように食べてみると癖になるというような物なのだろうか。健康によくないという時点で、身体に取り込むつもりはないけれど。


 そうして小一時間滞在した間、席についた時にすでに喫煙ブースを利用していた女性は、時間をあけて2度目を利用していた。一回入ると5分から7分入っている印象。立ちっぱなしで小さな空間に煙と共にいる。このペースでタバコを吸っているなら、起きている時間の6分の1はしていることを中断し孤立した場所へ行くことになる。

 そう考えると、その人生でいいのかと他人事ながら心配になってしまった。全くの大きなお世話だと自分でも思うので指摘はいらない。

 そして、久しぶりにライターをカチッと鳴る音が聞こえ、曇りガラスごしに火が灯るのも見えた。つまり、電子タバコではなく紙のタバコのようであった。昔父がタバコを吸っていた時のことを思い出した。

 大病をしてタバコを辞めたが、それまでは一日に1箱半ほど吸っていた父。起きている時間16時間として、30本だとやはり1時間に2本は吸っていることになる。昔はどこでも吸えたし、何かをしながらでも吸っていた。

 けれど、今の世の中では、別の場所で吸わなければならない。仕事によるかもしれないが、していることを中断することで仕事などのパフォーマンスも下がるだろう。スモーカーにとってはデメリットが多くなっているのではないかと思われる。

それでも求めるのは何か意味があるのだろうと思うし、否定する気はないが、もし辞めたいのにやめられないというならとても悲しいことだと思う。

 タバコについて思いを馳せながら、この数十年の世間の変化が、風景を変えてきたことを、しみじみと実感した。

 今日と明日は何も変わらないだろうと無意識で信じていたけれど、実際はちょっとずつ変わっている。喫煙席がなかった店に喫煙ブースができたのだ。この小さな変化は今後時間をかけて大きく変化していく全体の一部分であるかもしれない。

 生きていると色々と見えることがあるなぁと思う。
自分ごとに振り回されるばかりではなく、世の中の小さな動きを感じる時間を持つことも生きる意味を味わい深くさせてくれる。

今日も気づきをありがとう。

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