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あなたに真心を尽くす本物のパートナーと出会うことは「バラ色の人生の始まり」ではなく、「ひとりで身軽に気楽に生きてきた自分」を失い「見て見ぬふりをして逃げてきた自分」と向きあうこと

これまでTwitter(@_qir)にて
「パートナーの必須条件はあなたを大切にし支えてくれる人」
ということを繰り返しお伝えしてきました。

これに関して
「大切にし支えてくれる人はいるけれど、
 その人のことをどうしても愛せない場合は
 どうしたらよいのか」
「たとえ自分を大切にしてくれない人でも、
 『愛する人を自分が支えたい』という思いだけの恋愛ではなぜいけないのか」
というご質問がたびたび寄せられます。

この他にも様々な相談を頂いていましたが
Twitterという140字の制限がある場では
なかなかお伝えしづらいことも多くありました。

頂いた質問に対して個別にお答えは難しいのですが
多数の質問に共通する部分を抽出し総合的にお答えするという形で
今回約一年ぶりに新しい記事を書きました。

これをお読み下さる皆さまの年齢層はさまざまだと思います。すべての人にあてはまる文章は書けませんし、すべての人が納得するお話もできません。

もしかしたらあなたには全く当てはまらない話ばかりかもしれません。

それでも、たとえたったひとりでも暗闇の中でこの文章を必要とする誰かにこの記事が届くことを願って、微力ですが誠心誠意、心を込めて書きました。

この記事が
少しでもあなたのお役に立てることを
心より願っています。


*  *  *  *


まず、
「私を大切にし支えてくれる人はいるけれど
その人をどうしても愛せない場合はどうしたらよいのか」
についてです。

端的に答えるならば、
「愛せない人」を無理に愛する必要はありません。

「友人として愛することはできる。
けれどパートナーとして愛せない」
というのは
あなたの直感が何か重要な違和感を
その方から感じ取っているのだと思います。

たとえその方が
あなたを大切にし支えてくれる人だとしても
「愛せない人」を無理に愛そうとすればするほど
「この人ではない」という違和感が
あなたの中で膨らみ、
どれだけ否定しても
それは広がっていくばかりのはずです。

その違和感や直感は信じるべきものであり、
軽視してはいけません。

愛することは
頭ですべて考えてあなたの心を押し殺し
損得勘定によって出来るものではありません。

あなたのそばにいて、
あなたを誠心誠意支えてくれる人がいたとして。
それでもあなたの心が
その人に対してどうしても動かないならば、
その人はあなたのパートナーにはなり得ないのです。

確かに
あなたを大切に守り支えてくれることは
あなたのパートナーとしての必要条件です。

けれど、
あなたを大切にし守り支えてくれる存在だからといって
あなたの心が全く動かない人のことを
無理に愛する必要はありません。

あなたの心が動かない人のことは
どれだけ「愛したい」と望んでも
どれだけ「この人を愛した方が良い」と
自分に言い聞かせても
愛することは出来ないでしょう。

心が動くことは
理屈ではないからです。

なぜかは分からないけれど
あなたの心が一瞬にして動かされ
胸の奥のどこかが強く切なく深く共鳴する。

それをコントロールすることは
できません。

できることはただ
その心に響くものに
ただただ耳を澄ませること。

あなたの心を動かすものの正体を
きちんと見つめることです。

それがあなたを害するものなのか
それともあなたを助けてくれるものなのか。

先入観を排した
まっさらな気持ちで
それを見極めることです。

あなたの心を動かすものには
良いものと悪いものがあります。
あなたの心の隙間につけ入る悪しきものと
あなたの心を救う良きもの。
その二種類があります。

大切なのは
あなたの心を動かすものの中から
良きものを選びとることです。

パートナーにおいても
これは当てはまります。

あなたの心を動かす存在であること。
そして同時に、
あなたを大切にし守り支えてくれる存在であること。

その二点を満たして初めて、
その人があなたにとってふさわしいパートナーです。

あなたをひたむきに思いやり
真心を込めて大切にし支えてくれる人の中で、
ふと気がついた時に
「この人がいない人生を想像することなどできない」
と思えるほど
あなたにとって失うことができない存在が現れたなら、
その人をためらいなく素直に愛する。

できることは
それだけです。

愛するパートナーを見つけることは
条件に合った人を探し出して
あなたの心を無理に動かし
作為的に「愛する相手」を作り上げることではありません。

愛することにともなう
胸が締め付けられるような
コントロールできないいとおしさは
頭で考えて生み出すことはできません。

何の前触れもなく
自然のなにかの働きによって
突然やってくるものです。

それを人工的に生み出すことも
抵抗することもできません。

できるのは
その心を動かしたものを
しんと静まった心で
見極めることだけなのです。

そしてもちろん
あなたの心を動かす存在でありさえすれば
誰でも良いわけでもありません。

たとえば、もしあなたのパートナーを
この世界から10人選んで良いならば
「ただ心を動かす存在であるだけ」の人を
そこに入れても問題はないかもしれません。

しかし
あなたのパートナーとなれるのは
世界でたった1人だけです。

そのたった1人に
あなたを大切にせず手ひどく傷つける人を
わざわざ選ぶ必要はありません。

あなたのパートナーとなるべき人は
きちんと選び抜かれた人でなければ
ならないのです。

繰り返しになりますが
まず第一に
あなたの心を動かす存在であること。

そして第二に
あなたを誰より大切に思い
真心を尽くして
支え抜いてくれる覚悟のある人であること。

その二つを持った人に出会った時に
あなたも心を込めて正直に
その人を誠心誠意愛すること。

必要なことはそれだけです。


*  *  *  *


恋愛で苦しむ人に共通しているのは
「自分の心を動かす存在」が
あなたの目の前に現れた時に
「その人が本当にあなたのことを大切にし
支え守ってくれる人かどうか」
を確かめることから逃げる点です。

「あなたの心を動かす存在」が目の前に現れても
その人があなたを大切にし守り支えてくれないならば、
パートナーにはふさわしくありません。

「愛する人は多忙で私を支えられない状況にあり、
 私の方も余裕がなく相手を支えられません。
 このような場合、どうすれば良いですか」
というご質問も頂きます。

忙しい時や余裕のない時だからこそ
いつも以上に互いを支えあえるのが
本物のパートナーです。

うわべだけの関係であればあるほど
多忙で余裕がなくなった時に
うまくいかなくなります。

パートナーとは、
一方がどちらかに寄りかかり、
もう一方がそれを受け止めるものではありません。

ともに辛い時を過ごすことで
より一層絆を深め
そばにいて支えあうことで頑張ることができる。
それが本物のパートナーです。

たとえば
あなたの愛する人が辛い状況にいて、
あなたも辛い状況ならば、
誰よりもその辛さを理解しあえ、
いつも以上に互いを思いやりあえるのではないでしょうか。

愛する人とは
自分が辛く余裕のない時ほど
心を研ぎ澄ませ
ひときわ大切にしたいと思える存在のことです。

自分が辛い時
大切にするのが面倒で煩わしく億劫に感じる存在は
愛する人ではありません。

もちろん、
余裕がない時に
他人にやさしくできないのは
誰しも当然のことです。

けれどパートナーとは
他人ではありません。

パートナーとは
余裕がない時こそ
いつもより一層深く
互いを丹念に思いやり支えあえる相手です。

だからこそ、
ただの他人とは決定的に違う
「別格」の存在なのです。

辛く苦しい状況にある時
愛する人の存在は
唯一安らげる場所となります。

特別なことをしてくれなくとも
その人がそこにいるだけで
手を握っていてくれるだけで
痛みはやわらぎ
傷は癒え
心は軽くなるはずです。

顔を見るだけで不思議とほっとして
ただ何気なく言葉を交わすだけで緊張が解け
ささいなことで笑いあい
ふと涙がこぼれる時は抱きしめあい
眠れない夜もその人のそばならやさしい眠りにつける。

辛い時ほど
愛する人のその存在の大切さが
一番心にしみるものです。

辛い時に
ふたりの心が離れていくなら
それは愛ではありません。

辛い時に
心がより近づき
いとおしさで胸がいっぱいになるほどに
互いの大切さを確かめ合えるのが
本当の愛なのです。

愛し合っているはずなのに
ふたりとも辛い時に支えあえないならば
それぞれが相手に何かを過剰に要求し過ぎています。

「自分をいたわってほしい」
「自分を慰め癒してほしい」
「これだけ疲れているのだから何か特別に尽くしてくれて当然だ」
と相手に過剰に求めてしまったり
期待と違う反応をする相手を責める気持ちが生まれます。

疲れている時や辛い時は
誰でも余裕がなくなります。

短気で攻撃的になりやすく
相手に何かを与えるよりも
自分の満たされぬ部分を
満たしてくれる何かを外から奪いたくなるものです。

しかし
本来パートナーとは
「奪う」相手ではありません。

自分も疲れて余裕がない。
愛する人も疲れて余裕がない。

そんな時に
目の前にいる元気がない表情をした愛する人から
「自分を満たす何か」を奪おうとするのは
「愛」などではありません。

誤解を恐れず言えば
それは
「暴力」であり
「搾取」です。

確かに
愛する相手だからこそ
甘えてわがままを受け入れてほしくなることも
あるでしょう。

しかし
「愛しているなら
 自分のわがままを相手は受け入れてくれるべき」
「愛しているなら
 相手のわがままを自分が受け入れてあげないといけない」
と誤解してはいけません。

愛するとは
わがままを通すこととは違うのです。

愛するとは
相手を全身全霊で尊敬し守りあうことです。

「心から尊敬し愛するこの人に恥じない自分であろう」
「この人に顔向けできないことは絶対にしない」
「この人の悲しみや痛みを和らげこの人を守れる自分になる」
と心に誓える相手と生きることです。

辛く苦しい状況に
ふたりが置かれたなら。

一緒に過ごすことで
抱きしめあうことで
「この人も頑張っているのだから
 逃げてはいけない。
 自分も前を向いて頑張ろう」
と思うことができるはずです。

一人だったら深く沈み込んで浮上できないような夜も
その人のそばにいればほっとして心が安らぎ
いつの間にか笑いあえて心が軽くなり
また前を向くことができる。

苦しい時に共に支えあうからこそ
他人が入り込めないほどの深い絆で
結ばれるのがパートナーです。

余裕がない時に支えあえないのは
パートナーではなく、
それだけ「他人」なのです。

本物のパートナーならば、
他の誰よりも
相手の弱さや脆さを知り抜いているはずです。

その人がどんなことで辛くなり、
辛い時にどんな表情になり、
どんな風に傷つくのか、
熟知しあうはずです。

ささいな表情の変化で
愛する人がどんなに辛いかが分かるからこそ
また自分も辛い状況にありその痛みが分かるからこそ
「支えたい」「守りたい」
「この人の辛さを軽くしてあげたい」と思うのです。

相手に依存して頼ろうと思うのではなく
相手のがんばりを讃えて誉めあい
励ましあおうと思うのです。

自分の辛さを盾にして
同じように辛く苦しい状況にあるパートナーに
「癒し」「慰め」「奉仕」「労り」
を当然の権利として要求するのは
暴力と同じです。

最愛のパートナーの苦しみならば
例え100%はわからなかったとしても、
1%でもわかりたいと思うものです。

「余裕がないから優しくできない」
というのは
他人同士であれば当然のことです。

しかしパートナーとして見るならば
大事なことが欠落しています。

パートナーとは
余裕のある方が一方的に支え
余裕のない方が一方的に
支えてもらう関係のことではありません。

ふたりとも余裕がない時こそ
辛いことを協力して乗り越え
悲しみをふたりで分け合って小さくし
その人の痛みに寄り添いたいと思わずにいられない。

そんな関係のことなのです。

他人とパートナーの違いを
今一度よく考えてみてください。

社会の中で
普段神経が張りつめているからこそ
「パートナーの前では素を見せて
甘えてわがままを言いたい」
という方もいらっしゃるでしょう。

しかし、
パートナーは親子とは違います。
無償の愛で包み込むような
母性の愛とは根本的に質の違うものです。

「愛しているからこそ甘えやわがままを何でも許してほしい」
というのは親と子の間の
母性的な愛を下地に成立するひとつの愛の形です。

パートナー同士の愛は
それとは違います。

パートナーとは
「愛しているからこそ
 この人に恥じない自分であるため
 今日もがんばろう」
と自分を奮い立たせてくれる存在です。
思わず襟を正したくなる存在のことです。

もちろん、時には
心を許しあい無防備に甘える時もあるでしょう。
弱音を吐いて、
本音を受け止めてほしい時もあるでしょう。

しかし、最後にはきちんと
「この人のために頑張ろう」
「この人に尊敬され愛される自分であるため頑張ろう」
と思えるのがパートナーです。

甘えたら甘えっぱなしで
ずるずると頼り続ける。

いつも弱音や愚痴を吐いて、
相手にその感情をなすりつけ、
自分のストレスの処理を相手に強要する。

自分のうさを晴らすために
相手を傷つけたり
八つ当たりをして、
相手をサンドバッグのように利用する。

それは愛ではありません。

それを愛だと勘違いしている人のそばにいると、
あなたのやわらかで繊細な心は
気が付いたらボロボロになってしまいます。

あなたはその人の母親ではない。

あなたはその人の
行き場のない不満や怒りといった感情の処理係ではない。

あなたは
世界でただひとりのパートナーから
特別に尊重され大切にされ
こまやかな真心をいつも捧げられ
とびきり丁寧に扱われなければならないのです。


*  *  *  *


愛する人ができたなら
「この人を支えたい」
と思うことは自然なことです。

けれど、
自分をないがしろにしてまで
相手を支えるのはいけません。

あなたの弱さを認め、
「愛する人から支えられる勇気」
をしっかり持つこともとても大切なことです。

「あなたがどれだけ強い人か」
「あなたがどれだけ相手を支えられるか」
を示すことは、
社会を生き抜く上では必要なことかもしれません。

しかし、
愛されるためには、
それらは必要なことではありません。

あなたが「本当は弱い人」であることを
見抜ける人こそが
あなたの本物のパートナーなのです。

強くあろう、
自分で何でもできるようになろう、と
あなたが隠し続けてきた弱さを
愛する人の前では素直に認めてよいのです。

「この人の前では弱くても良いのだ」と
あなたが隠している自分の弱さを見せられる人。
あなたの弱さを否定せず突き放さず
ましてや責めたり変えようとすることもなく
やさしく包み込んで守ってくれる人。

それがあなたの本物のパートナーです。

だからこそ
あなたが辛い時に
「自分だって辛いんだ」
といってあなたを助けない人は
パートナーではありません。

余裕のある時は、
誰だって他人に優しくできます。
しかし、だからこそ
余裕のない時に
その人の包み隠せぬ本当の姿が出てくるのです。

余裕のない時に
自分のことしか考えられないような人は
「自分が辛いから」という言い訳をして
自分の利益のためなら人を平気で傷つけます。

ことあるごとに
「自分が辛いから」という言葉を免罪符に
他の人を自分の思い通りにしようとします。

しかし
「自分が辛いから」といって
人を傷つけることが許されるはずがないのです。

「自分が辛いから、
 誰かが犠牲になっても構わない」
そんな歪んだ考えを持つ人と関わると
たくさんの災難に遭うことになるでしょう。

そういう人をパートナーにすると
あなたはその歪んだ稚拙な言い訳によって
たくさんたくさん傷つけられることになります。

たとえ余裕のない時でも
あなたにだけは限りなくやさしくしたいと思う。

あなたにだけはきちんと寄り添おうと努力する。

あなたの気持ちだけは真摯に汲み取ろうと心を砕く。

普通の知り合いや友人だったらできないような
そんな難しいことができる相手だからこそ
唯一無二のパートナーになれるのです。

苦しい時こそ、余裕のない時こそ
一緒に助け合える、
支えあえるのが本物パートナーです。


*  *  *  *


ここまで読んで下さった方には

「なぜそんなに大切にされ
 支えられることにこだわるのか?
 その場限りの恋愛を
 割り切って楽しむのも
 恋愛の一つの醍醐味ではないか」

と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

その場限りの恋愛を楽しむことを
否定しているわけではありません。

しかし、
その場限りの恋愛を楽しみたいとおっしゃる方は、多くの場合
恋愛以外のところに大きなストレスを抱えていらっしゃいます。

それを直接的に解消できないから
一時だけの恋愛によって現実から目をそらし
ご自分の心を守っているのです。

ひとときだけ現実から逃げても
問題はそのまま変わらずそこにあり
心や身体には強いストレスがかかり続けています。

その状態に長くさらされて健やかに耐え抜けるほど
人は強くはありません。

一時だけのわりきった恋愛を楽しめる方は
「自分の心は自分で守れる」という自負があり
ひとりで重い荷物を背負おうとされる傾向があります。

そういう方は、
一度心が折れてしまった時に
張りつめていた何かが切れ
もう立ち上がれなくなってしまう事が多いのです。

恋愛に楽しさを求める方は
心の奥底に満たされぬ大きな何か欠けたものを
持っていらっしゃいます。

それと向き合わずに
その場限りの対処を繰り返すと
次第に心は摩耗し麻痺してゆきます。

本当は満たされていないのに
恋愛に酔って
満たされたと錯覚してしまう。
相手を美化しすぎて非現実的な夢を抱き
大きな期待をしてしまう。

問題とストレスから目をそらし続けて
最後に待っているのは
逃げ続けてきた現実の重みと
盲目的に信じた相手との恋愛という幻想から醒めた時の
「なぜこんな人に期待していたのだろう」
という落胆と失望です。

大切なのは
現実から目をそらさないことです。

本気で愛する人に出会うと
人は必ず
これまでずっと逃げ続けてきたものと
向き合わなければならなくなります。

ひとりで生きていた時には
目をそらしていても構わなかったもの
ずっと見て見ぬふりをしたものと
対峙しなくてはならなくなる。

そんな状況に直面することこそが
あなたが本気で誰かを愛した証拠なのです。

嫌なものから目をそらし
現実から逃げるあなたを
許して共感し甘やかしてくれる人は
あなたの本物のパートナーではありません。

あなたが一人ではどうしても向き合えなかったものと
ゆっくりとでもまっすぐ向き合わせてくれる。
震える肩をやさしく抱いて一緒に向き合ってくれる。
それがあなたの運命の相手なのです。

あなたの目の前にある問題や
あなたを苦しめているストレスを
一緒に解決しようとする人。

あなたの弱さを受け止め
あなたをかばい
あなたを助け
そばに寄り添い支えてくれる人。

そういうパートナーに巡りあった時に
一時の恋愛を楽しむことよりも、
もっと大事なことに気づかされるのです。

一生何の問題にも悩まされず、
順風満帆に生涯を終える人など
この世にいません。

息つく暇もなく
ストレスと問題に悩まされる毎日だとしても
そこに希望を見いだすこと。

それができるのは
あなたの存在をまるごと愛し、
あなたの弱さも強さも脆さもすべて受け入れて
「あなたという人がいかにすばらしいか」
「あなたという人がどれほどこの世界に必要か」
を何度も何度もあなたに
とくとくと教えてくれる人がいるからこそ
可能なのです。

現実の問題から目をそらさないこと、
目の前の人と正直に誠実にきちんと向き合うこと。
確かにそれはとても骨の折れることです。

「愛する人に出会った喜びに浸りたいのに
 どうして今更そんな疲れることを
 わざわざしなければならないのか」
と思われるかもしれません。

しかし
あなたの目の前の問題から逃げていても
それは勝手に消えてくれることはなく
いつまでもあなたを追いかけてきます。

逃げ回りつづけたごほうびに
何かとびきりの幸運がやってくるのではありません。

逃げ回りつづけたツケが
必ずその先には待っているのです。

けれど
あなたはひとりで立ち向かう必要はありません。

一緒に立ち向かってくれる人、
あなたを守り支えてくれる人、
あなたを大切にしてくれる人が必ずいます。
今は姿が見えなくとも、必ず出会えます。

その人と共に生きること。

その真心と誠実さに貫かれたまっすぐな愛を
惜しみなく浴びて
今までどれだけ冷たいところで
ひとりで生きてきたのかを知ること。

一緒に悲しみ
一緒に喜び
一緒に泣き
一緒に笑うこと。

あなたをすべて知っている人が
あなたの一番の味方となって
そばにいてくれること。

それ以上の人生の喜びはないのです。

その喜びを前にすれば
一時に恋愛の楽しみなど
ごみ同然に思えるほど
何の価値もないものです。

本当に心の芯から満たされる人生を送っている人は
一時の恋愛を楽しもうという発想すら不可能です。

人生を楽しむ、ということの
本当の意味を知っているからです。

目の前のことから目をそらさないこと。
あなたの前にいる人と真剣に心をこめて
誠実に話し合うこと。
慈しみ、優しくしあい、抱きしめあうこと。

あなたをあなた自身がきちんと愛しぬけているか
もう一度自分の心に問いかけてみて下さい。

あなたの弱さを
人に知られることを恐れないでください。

その弱さゆえに
あなたを助け、あなたを守り、
あなたを宝物のように大切にする人が現れ、
あなたにいつでも手を貸してくれるはずです。

大切にされることを、諦めないでください。

支えられることを、恥じないでください。

守られることから、逃げないでください。

全く解決策が見えないような問題を前にして
暗闇の中をさまよっている時に
ひとりで何とかしようともがく必要はないのです。

助けを求めていい。
弱さをさらけ出していい。
間違いを認めていい。

そこからきっと出口が見つかります。

トンネルの向こうに、光が見える。

その光をくれるのは
ひとりで苦しむあなたを助けたいと願い、
あなたがいないと心配して走り回って
一生懸命に探し回ってくれる人です。

自分を偽らないそのままのあなたを慈しみ、
丁寧に丹念にあなたを思いやり
何の利害も損得もなくあなたを愛する。

この世界にある
あなたを傷つけ害する無数のものから
宝物のようにあなたを守りたいと願い、
支えてくれる人なのです。


*  *  *  *


(ここまで読んで下さりありがとうございます。

 記事はまだ続きますが、以下は
 人によっては厳しい内容かもしれません。

 心を込めて書いておりますので、
 不用意に中途半端な気持ちで読むと
 傷つく方や不快に感じられる方もいらっしゃると思います。

 本当に真剣に読んで下さる方のみお読み頂きたいので、心苦しいのですが以下は有料とさせていただきます。

 「必要ない」と思われた方はここでおやめください。

 冒頭でも申し上げましたが、この記事ひとつで触れられるテーマには限界があり、すべての方にあてはまることは書けません。以下の有料部分も期待していた内容ではなくがっかりされる方もいらっしゃるかもしれません。

 それでも、以下の内容を有料化したのにはきちんと理由があり、たとえ当てはまらない方や内容を受け入れきれない方でもお読みいただく意味があると思っています。

 その意味や理由をここでわざわざ語ることは致しません。ですが、お読みいただいた方それぞれが、何かを感じて、考えるきっかけとなることを信じています。

 たとえ以下の内容に対して今は受け入れがたいものを感じる方がいたとしても、いつか時が過ぎれば必ず腑に落ちる時が訪れるはずです。

 くり返しますが、ただ興味本位で読みたい方、耳障りの良い自分に都合の良い言葉を読みたいだけの方は、ここでおやめ下さい。)

ここから先は

5,611字

¥ 360

最後までお読み下さり有難うございます。 皆様からのメッセージやサポートにいつもとても励まされています。メッセージを頂いた方にはお返事を差し上げる事がございますので確認可能な連絡先をご登録下さい。 この記事が少しでもお役に立てますように。 貴方の心が少しでも軽くなりますように。