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地域で本をつくる⑤「ジモトブックス 第1回ミーティング開催!」

2023年10月27日(金)の16時からみっちり2時間、地元加東市の社公民館で「ジモトブックス第1回ミーティング」をおこないました! 今回はそのレポートです。


ジモトブックス第1回ミーティングの参加者は11名。

  • K先生(元小学校の先生)

  • 兵庫教育大学附属図書館Nさん

  • 兵庫教育大学附属図書館Yさん

  • 主婦でアーティストのMさん

  • 社高校の2年生の皆さん(5名)

  • 社高校のT先生

  • スタブロブックス高橋



自己紹介

まず自己紹介から。このnoteでは私が代弁。

◎K先生
スタブロブックス高橋の小学生時代の恩師です。加東市の生き字引のような方で、現在はお住まいの地区の地域史を数年がかりで編纂するべく奮闘されています。スタブロブックスの出版活動を側面から応援してくださっていて、今回のジモトブックスプロジェクトを初期からサポートしてもらっています。

◎兵庫教育大学附属図書館のお二人
当社刊行の子どもたちに向けた書籍『一歩ふみだす勇気』(高橋惇著/スタブロブックス)を図書館にご提案した際にお会いしました。BLUE CLASSとよばれる青空教室やさまざまなイベントを主宰されていて、トークイベントのお誘いを受けたことも。お二人とも市外にお住まいだけど、外から見た加東市のご意見を伺いたくてチームに入っていただきました。

◎Mさん
ご結婚を機に京都から加東市に来られた方。子育てをされながら灯りのアーティストとして活躍されています。行動力があり、加東市内の人やお店をどんどん訪ねながら関係を築き、ご自身の活動範囲を広げられている印象。都会から加東市に来られた女性の視点、そしてプレーヤーとしてのご経験をジモトブックスに活かしていただこうとお声がけしました。

社高校の2年生の皆さん
社高校は私の出身校です。生徒の皆さんに本づくりに関わってもらいたくて社高校のM先生を訪ねたのがすべての始まり。M先生にジモトブックスの説明をすると興味をもってくださって、生活科学科のT先生につないでいただき、生徒の皆さんの参加が決まったのでした。5名全員、課外授業で「地方創生」をテーマに学ぶ生活科学科の2年生。高校生たちは地元の加東市や田舎についてどんな印象を抱いているんだろう(興味津々)。

(本日のミーティングにはご参加できなかったけれど、他にもジモトブックスに関わっていただきたくてお声がけしている皆さんも! おってご紹介していきます!)

何でもある地域であり、何にもない地域

今回のミーティングで話し合ったテーマはひとつ。

「加東市ってどんなまち?」

というのもジモトブックスの加東市版をつくろうと思い立ったとき、いきなりぶつかった壁だからです。ミーティングの中でひとりの高校生が奇しくも言ってくれた「加東市って良くも悪くも絶妙に普通」という言葉がまさに言いえて妙で……観光地ではなく、都会ではなく、かといって日本の原風景というほど田舎すぎもしない、ありふれた地方である加東市をテーマとした本が果たして成立するのか、といきなり立ち止まってしまったのです。

まずK先生にレクチャーしていただきました。

加東市は自然が豊かで、農業が盛んで、交通の便が良く、歴史(国宝や史跡)があり、工業団地もあり、官公庁の出先機関も集積していて、ゴルフ場が多く、人口が減っていない数少ないまちでもある……

こうしてみると「加東市は何でもある地域」だけれど、市民の暮らしの感覚としては住まう満足度がそれほど高いわけではない。つまり何でもある地域に住みながら、「何にもない地域」だと感じている。

島根県の海士町が「ないものはない宣言」をして話題になりました。その言葉には「無くてもよい」「大事なことはすべてここにある」という意味があるようだけど、加東市は海士町ほどには「無い」わけではなく、ほどほどにあってしまう。あってしまうがゆえに、その「ある」の価値をこのまちで暮らす私たちは見失っているのかもしれません。

ではその「ある」の価値とはいったい何なのか? 加東市の「ある」には何らかの価値があったとして、その価値は読んで面白いと思えるコンテンツになり得るのか?

K先生は、加東市に欠けているのは「まちづくりの哲学」だとおっしゃいました。ジモトブックスはまちづくりを背負えるような本ではないにしても、この本ならではの「哲学」が必要になりそうです。

外からでは見えない、地域に根ざした営みの価値

K先生の言葉を受けて、口火を切ってくれたのは附属図書館のYさん。ご自宅のある宝塚から加東市までの通勤を旅に見立て、「#1時間の通勤は旅だ」というハッシュタグで通勤風景の写真をSNSで発信されています。

「1時間の通勤を仕事と思わなければ旅行になる」とYさん。通勤というケの日常を、旅というハレの日に価値転換している点がまず面白いのに加えて、Yさんにとっては田園風景にポツンとたたずむ一軒家の営みに興味があるとのこと。

「こんなところに家があるのかという森の中でいったいどんな生活が営まれているんだろう。食卓にどんな料理が並んでいるのだろう」

Yさんは通勤という名の旅をしながら、地域に根ざした暮らしを日々想像しているようです。

地域の人たちにとってはありふれた日常でしかないけれど、そんな地域ならではの営みにこそ価値の源泉が潜んでいるのかも?

田舎の暮らしに無理なくフィットしている高校生たちの感性

そんなYさんの話を受けて、地元の高校生たちはどんな思いで暮らしているのか気になり、順番に聞いていくと……

O君「自然の中での鳥の鳴き声が好き。ウグイスが鳴く練習をしていることもあって」「夕陽を見ながらチャリで通学するのも好き。自転車を降りて夕焼けの写真を撮ることも」

Sさん「夕焼けをバックに涼しい風を受けながら自転車で帰るのが好き」「夜は月もきれい」

Fさん「田舎は動物が多い(それがいいかわからないけど)。牛舎もあったり」「地元は安心感がある」

Hさん「バスを降りて川沿いを歩いて帰る際の夕空が好き。ハートのかたちの雲を見つけたり。高い建物がないから空が広いのが田舎の良いところだと思う」

えー! みんな、こういう場に気遣って発言していない??

そんな疑問をあえて口にしてくれたのが、加古川から通う附属図書館のNさん。

「みんな、自然が豊かやからいいまちやなんて、思わなくてもいいんやで」「都会の良さを知らんから、今の環境がいいと思えているだけかもしれないよ」

Nさんが投げ入れてくれた問いはとても大事で。では都会の良さって何だろう? と、ご結婚を機に京都から加東市に来られたMさんに聞いてみると。

「加東市は都会と比べるとやっぱり不便。都会のいちばんの良さは選択肢の多さ。たとえば好きな服を買うのだって都会のほうがいろんなお店があるし、楽しいよ」(でも今では車で20分の距離が近い! って思うほど加東市の生活が慣れちゃったとも)

ならばと、高校生たちに「卒業後は地元を出て都会に出たい?」と質問すると、もぞもぞしている子もいたけど、積極的に手を挙げる生徒さんはゼロ。

「都会の光より、自然の光が好き。加東市を出るとしても、北海道や沖縄のような大自然に惹かれる」とO君。Sさんは「都会に憧れはあるけれど、住むなら田舎がいい」と。

一連のやり取りを聞いて、都会はいいと無理に押し付けるのも違うと感じた。

都会の光より、自然の光――

O君からこんな言葉がごく自然に出てくるあたり、高校生のみんなの感性は無理なく田舎の生活にフィットしているんだと思う。その感性にゆだねて人生を歩むのが大切だし、その感性の目がとらえている加東市の姿に、このまちの価値が潜んでいるかもしれない。

バス通学で人間観察。毎日がショートストーリー

高校生の感性ということでいうと、Oさんのバス通学の話が興味深かったです。

多可町、西脇市、加東市の2市1町のまちなみを眺めながらバスで通学しているOさん。

「人間観察が好きで、車に乗っている人や通学している人たちの表情を見ながらその人たちの人生を想像しています。朝はどんなことをしたんだろう? とかって」

たとえば多可町の人の表情は?

「多可町はお年寄りが多いのでちょっと疲れた表情で。西脇に入ると産業の発達がまちに現れていて、ひとりでいるより、3人とか5人で楽しそうに笑顔で通学しているのが印象的です」

じゃあ加東市は?

「バスのロータリーの近くにあるヤマト運輸の人たちが通勤されていて。いつも5人で歩きながらすごく楽しそうで。大人が同じ服を着て笑い合って、何話してるんだろうって」

このOさんの話を聞いて、その人たちの物語が立ち上がってくる感じがしたのですが皆さんいかがでしょう?

加東市で暮らす人から人へとストーリーがつながっていく展開で、読み終えると加東市というまちの印象が伝わるような本……

田舎は生産社会。都会の消費社会に人は飽きている

こうして話していくと、加東市という地域を大上段から語るよりも、Yさんも感じているように、地域に根ざした日々の営みにこそ価値の源泉があるような感じがします。

「地域の営み」というキーワードに対して、K先生は「田舎は生産社会」という見方を示してくれました。田んぼでお米を生産し、畑で野菜で生産し、自給自足的な暮らしを営む田舎の社会(ただし、スタブロブックス高橋の実家は田んぼも畑もないので汗、田舎であっても家によります)。

「だから生産者はみんな優しい。共同体による自治で地域が成り立っているから」とK先生。

その共同体が時に息苦しさや閉塞感を生む面もある一方で、資本主義が成熟した先の未来として、所有から共有へというコモンズの在り方が見直されていくのであれば、田舎の共同体の価値が再認識されるようになるかもしれません。

対する「都会は消費社会」というK先生の言葉に対して、附属図書館のNさんがこんな話をしてくれました。

「図書館主催のBLUE CLASSの中でも屋外ヨガ教室が人気で、たくさんの人たちがきてくれるんです。もう、都市の消費社会に飽きているのかもしれないですね」

良くも悪くも絶妙に普通

加東市の特別な何か? を無理に探して価値化し、それを本に詰め込もうと考え過ぎなくてもいいのかもしれません。

K先生が東京の方を地元に案内した際、「周りがぜんぶ見える!」と驚いていたとのこと。つまり田舎の開放空間ですら価値になり得るということです。

図書館のYさんがこんなことも言ってくれました。

「高橋さんが自宅でジャズのレコードを聴いていたというSNSの投稿にも興味を惹かれて。うちでは大音響で音楽なんて聴けないので」

田舎の開放空間だからこそ音量を気にせずレコードを楽しめるのはたしかに贅沢だと納得。

加東市をほかのまちと比較し、すぐれている点を探そうとするから壁にぶちあたるのかもしれません。高校生のSさんの「加東市は良くも悪くも絶妙に普通」という言葉は、もうそのとおりなんだから。

「佐保神社の桜のライトアップがきれいで見に行くんです。近くの神社にすぐ行けるのが田舎の特権」

Sさんのこの視点は素晴らしいと思う。全国に7~8万社以上ある神社と寺院は地域にとって単なる宗教施設に留まらず、地元の人たちのコミュニティであり拠り所でもあります。私は子ども時代にお宮さんが遊び場でした。

そんな神社という存在に価値を見出している高校生の感性を、ジモトブックスでは大切にしたいなと思いました。

価値を外に出すのが下手

加東市にゴルフ場が多いのは魅力なのかもしれないけど、「ゴルフをしない僕にとっては何の興味もない」とYさん。

「僕たち外の人間にとっては、地方の価値が見えにくいんです。たとえばアウトドアメーカーが地方に入り、グランピング施設などの拠点を開発する動きがありますよね。価値はそこにあるのに、地方の人はその価値を外に出すのが上手じゃないんだと思います」

それぞれにストーリーがあり、それぞれの自然がある。

加東市ならではを求めすぎるより、その土地で暮らす人たちのストーリーを通じて地域を描く。そうすることで、結果として加東市の本質が見えてくるかもしれない――

まだ考えはまとまっていないですが、今回のミーティングを通じて私はそんなことを感じました。

ということで、ミーティングの様子を公開議事録的に書いてみました。まとめるのは大変ですが、自分の考えの整理にもなるので今後もできる限り続けようと思います。

おわり。

最後に記念撮影。加東市の「K」の文字でポーズ。左右逆になりました笑

このマガジンでは、ジモトブックスシリーズを立ち上げるまでのプロセスをできる限り可視化し、みなさんと共有していきます。少しでもご興味があればフォローしていただけると嬉しいです。

「私の地元でも地域の人たちと組んで本づくりをしてみたい!」そんな熱い思いをもつ方はぜひ気軽にお声がけください。全国各地のプレーヤーの皆さんと組んで、各地の特色ある地元本を一緒につくっていけたらと願っています。

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