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ブダペスト・ワーグナー・デイズの魅力

アダム・フィッシャー総監督のもと2006年にはじまり、以降毎年6月に開催される「ブダペスト・ワーグナー・デイズ Budapest Wagner Days/ Budapesti Wagner-napok」は世界中の音楽ファン、とりわけワグネリアンの間では一大イベントとして認識されつつあります。2022年は《指環》が2サイクルの他、ルネ・パーペのリサイタル、⦅リエンツィ⦆の演奏会形式での上演が行われました。⦅指環⦆は連日16時開演(《ラインの黄金》は18時)で各幕間に約1時間の休憩を挟むという、バイロイトと同じスケジュールです。

日本での知名度も上がっているようで、日本からいらっしゃる方も見かけます。とはいえ、2017年に後藤菜穂子さんが取材された記事があるものの、ネットで「ブダペスト ワーグナー」と入力しても、検索結果が豊富とは言えません。そんなわけで現地在住のワグネリアンの義務として、この音楽祭の魅力について簡単に書いておこうと思います。


1.歌手陣の豪華さ
「ブダペスト・ワーグナー・デイズ」魅力は、まずはこの点にあるでしょう。今年2022年のキャストにはキャサリン・フォスター、アリソン・オークス、シュテファン・フィンケ、トマス・コニエチュニー、エギルス・シリンス、ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー等々、バイロイトと見紛うほどの名実ともに第一級の歌手たちが一堂に会しています。彼らについてここでいちいち紹介する必要はないでしょう。理想的な布陣であることは間違いありません。
さらに彼らと共演するハンガリー人歌手にも実力派が揃っています。例えば、フライア役のシェック・アタラ Schöck Atala(姓・名の順。以下同)はバイロイト経験者のベテラン。第2のノルンを歌ったネーメト・ユディット Németh Juditは、マンハイム歌劇場でブリュンヒルデやクンドリーを歌っています。
(2022年の詳細はこちら
来年2023年もイレーネ・テオリン、ギュンター・グロイスベック、スチュアート・スケルトン等の豪華キャストが予定されています。またハンガリー人歌手ではもともとチューリヒで活躍していた演技派カールマーン・ペーテル Kálmán Péterが、アルベリヒ役でブダペストの舞台に戻ってきます。
(2023年の詳細はこちら


2.コンサートホールでの上演
「ブダペスト・ワーグナー・デイズ」の公演はMüpa(芸術宮殿)という施設内の国立バルトーク・ベーラ・コンサートホールで行われます。歴史ある歌劇場でオペラを観ることが、ヨーロッパならではの醍醐味であることは間違いないでしょう。しかし実はそうした格式のある歌劇場の音響がよいとは限りません。むしろ現代のコンサートホールに比べ残響が少なく、また席によって聞こえ方にムラが出てしまうことがしばしばあります。その点音響設備の整ったコンサートホールでの上演では、そのような心配はありません。充実した響きを堪能できます。
この音楽祭ではオーケストラはピットに入っており、舞台上では広い舞台を駆使した演出が繰り広げられます。そのため通常コンサートホールで行われる演奏会形式上演のように、歌手の声がオーケストラに埋もれて聴き取れないようなこともありませんし、演出を楽しむこともできます。見切れ席がないというのも、コンサートホールならではのメリットでしょう。最新の音響設備とピットのお陰で、豪華歌手陣の歌唱と演技を存分に堪能できます。


3.経済的な遠征
ひとつでも多くの上演を観たいと思うオペラファンにとって、やはりチケット代や交通費などの遠征費用は気になるもの。「ブダペスト・ワーグナー・デイズ」は2つの点でとても経済的です。まずチケットの価格がリーズナブルです。コロナ後ということもあり以前よりは値上がりしたものの、2022年の各公演では最安席が7,500フォリント(約2,700円)、最高席でも29,900フォリント(約11,000円)です。4日間通しチケットにはさらに割引があります。上記ような豪華キャストをこの値段で聴ける機会はなかなかありません。
また滞在費が安く抑えられるのもポイントです。通常《指環》を1サイクル鑑賞するには、1週間程度現地に滞在しなければなりません。ですがブダペストでは《指環》の公演は4日連続で行われます。最短期間ですべての上演に接することが可能です。もちろん単に経済的というだけではなく、そもそもワーグナー自身がこのような上演形態を望んでいたということも重要です。4日連続での上演によって、思う存分作品世界に浸ることができます。


4.アダム・フィッシャーの真価
この大規模なイベントを可能にしているのは、芸術監督アダム・フィッシャーその人を措いて他にいません。世界中から一流歌手を集めることができるのも、4日連続上演を成し遂げられるのも、彼の人望と実力があってこそです。2001年、急逝したジュゼッペ・シノーポリの代わりにバイロイトのピットに入り、《指環》の上演を大成功に導いたことはオペラファンの方であればご存知でしょう。近年はウィーン国立歌劇場でも《指環》の指揮を任されることが多く、彼の職人的技術の高さへの信頼がうかがわれます。
しかしハンガリー人である彼の本領が発揮されるのは、やはり祖国ハンガリーのオーケストラを指揮するときでしょう。ピットには一部の例外を除いてハンガリー放送響が入ります。そしてレパートリー制歌劇場の公演ではなく、自らリハーサルし、歌手やオーケストラとの綿密なコミュニケーションを図ることのできる公演でこそ、彼の真価は発揮されます。彼の指揮には歌手の呼吸に合わせたほんのわずかなテンポの変化を指示する繊細さと、ここぞという瞬間には一気呵成にまくしたて音の洪水を呼び起こすだけの大胆さがともに備わっています。まさにワーグナーの魅力がとことん詰まった演奏と言えます。


以上、簡単に「ブダペスト・ワーグナー・デイズ」の魅力を紹介しました。

来年のワーグナー・デイズでは《指環》1サイクルと⦅マイスタージンガー⦆2回、⦅パルジファル⦆抜粋の演奏会とボー・スコウフスのリサイタルが予定されています。詳細はこちらのページでご確認ください。

今年2022年から発売されたにTシャツには、ニューヨーク・タイムズの批評の引かれています。曰く「バイロイトのチケットが手に入らないって? それなら、ブダペストにもワーグナー・フェスティバルがある」。もちろん本家本元バイロイトは、今後ともワーグナー作品上演の聖地であり続けるでしょう。しかしブダペストもまた、これから先5年、10年と続くうちに、決してセカンド・チョイスとしてではなく、新たな聖地となる可能性は十分にあります。どうぞ日本のワグネリアンのみなさん、ご注目ください!

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