バルトークからみたドビュッシー――演奏の不自由さについて

バルトーク・ベーラのある時期の作品を演奏するには、不自由さと向き合わなければならない。それはバルトークが楽譜に書き込んだ指示の多さに由来する。演奏が再現芸術である以上、それは楽譜に従うことを原則とする。そうであるならば指示が多いほどに、解釈の自由度は狭められることになる。もちろん再現と言う語の含意は時代や立場によって異なる。だがそれをひとまず措くなら、概して書き込まれたものの緻密さと自由度とは反比例の関係にあると言える。

その不自由さのひとつの例を、8つの民謡編曲からなる《ハンガリー農民歌にもとづく即興曲》(1920)にみることができる。同時期に書かれた練習曲集(1918)やヴァイオリンとピアノのためのふたつのソナタ(1921)と同様、同曲集は作曲家の初期作品からあの1926年の傑作群(ピアノ・ソナタ、《戸外にて》、ピアノ協奏曲第1番)への飛躍を予期させるような野心的な作品である。メトロノーム記号で指示されたルバートやアッチェレランド、声部ごとの強弱指示など、様々な指示が作曲家によって記されている。そこには《ルーマニア民俗舞曲》(1915)や《ルーマニアのクリスマスの歌》(同)など、初期の民謡編曲作品にみられるのような素朴さはない。即興曲という題のイメージに反して細部まで練られており、民謡という素材から出発してどこまで遠くに行けるかという実験的作品であると言える(注1)。

この《即興曲》の第7番には〈à la mémoire de Claude Debussy〉との献辞がそえられている。同曲は1920年12月に刊行された《ラ・ルヴュ・ミュジカール》誌のドビュッシー追悼企画である〈Le Tombeau de Claude Debussy〉の中の1曲として、他の7曲とは別に発表された。一般的にある作曲家へのオマージュとして書かれた作品は、その対象となる作曲家の語法や引用を用いてつくられることが多い。その観点で見るならば同曲は素材としてのハンガリー民謡を、ドビュッシーから受け継いだ前衛的和声で彩った作品と言うことができる。もちろん用いられている和声はドビュッシーのそれとは異なるが、ペダルによる響きの重なりが前提とされた書法であり、ドビュッシー的な音響空間の設計が意図されていることは見て取れる。曲は中音域で奏でられる農民の歌と、それを装飾するようにハーモニーを重ねてゆく低・高両端の音域のふたつの要素から成る。曲が進むにつれて両者は混然一体となる。複雑に和声付けされたモチーフはときにホモフォニックに、ときにポリフォニックに処理される。ここにも先に指摘したような声部ごとに異なる表情記号や強弱記号、速度記号やメトロノーム記号といった事細かな指示や、また3連符や5連符の分割など複雑なリズム法がみられる。むしろ《即興曲》全8曲中もっとも厳密に書かれていると言ってもいい。

ここからさらに推論を進めてみることができる。すなわち、バルトークはこのような厳密性をこそドビュッシーの音楽の特徴と考えていたのではないだろうか、という問いをたてることができる。事実ドビュッシーの作品は、おそらく一般にそう思われているよりはるかに、クリアで厳密に書かれている。実際に演奏経験がある者は、ドビュッシーの演奏は感覚だけでは全く成り立たないことを知っているだろう。演奏者にはその緻密さの、不自由な再現が求められる。印象派や象徴主義といった区分とそれらの一般的イメージに基づくカテゴリカルな先入観なしに楽譜に向うなら、そのことは明らかになる。

そのような傾向は《版画》やふたつの《映像》を経て、前奏曲集の特に第2巻や晩年の練習曲集でもっとも顕著になる。クレッシェンド・ディクレッシェンドの明確な範囲や強弱の細かな指定(p、piu p、ppの差)は多くの作品にあてはまる。また練習曲〈同音反復のための〉におけるアーティキュレーションの指示やテヌートまたはスタッカートの有無、〈装飾音のための〉における同じ小節内での多様なリズムの組合せなど、多くの細部にも同じことが指摘できる。たとえ〈ヒースの茂る荒地〉のような比較的シンプルに聞える曲であっても、詳しく見てみるならば例えば前打音の書き分け(一拍目の前打音が小節線の前か後か)のような細部に気がつくだろう。

さて、《即興曲》に戻ろう。実はこの曲にはバルトーク自身の演奏が残っている。だがその録音からはいま私たちが楽譜から連想したような厳密性の再現を聴き取れるかと言うと疑問が残る。曲の冒頭にrubatoとあるように、また原曲が民謡であるからして、むしろテンポが揺れ動く方が再現として忠実ともいえる。だが、そのことにより細かく書き分けられたリズムは正確は演奏されてはいない。予期された不自由さは聴きとられない。音符に書き込まれた表現記号の再現の有無については、録音の状態から判断しにくい。とはいえ上述の録音だけでなく、残された他の録音も参照し判断するならば、バルトークの演奏は即物的、つまり楽譜に書かれてある通りの再現ではないと判断できるだろう。

このことは《即興曲》以外の《子供のために》のような民謡編曲の自作自演を聴くことでも理解される。《子供のために》はハンガリーとスロヴァキアの旋律が用いられており、それらは教育用作品ということもありかなり簡素に書かれている。だがバルトークの演奏は、ほとんど採譜不可能な、柔軟で微細な揺れ――ルバートと呼ぶにはあまりに不規則な――をともなっている。それはハンガリー語のイントネーションに基づくものである。出版されている楽譜の末尾には、歌詞一覧が載っており、バルトークが採譜の際に聴いたであろう揺らぎを演奏者に想像させるための補助的なテクストの役割を担っている。

バルトークの録音を聴くならば、楽譜の表面に書き込まれた情報の先に、その作品のルーツにまで遡ろうという意志を読み取ることができる。民謡編曲の自作を例に挙げたが他の作曲家による作品にも同じことが言える。バルトークはリストの《バッハの動機による変奏曲》S.180の一部を録音に残している。この作品は作曲された当時の、息子ダニエルに続き娘ブランディーヌを失ったリストの強い悲しみを反映しているとされる(末尾に奏される長調のコラールにたどり着くまで、すべての変奏が短調のままである)。バルトークの録音はその感情を引き受けた演奏であるように受け取れる。半音階の動きの中に聴きとることのできる抵抗感からは、そのわずかな音程差の歩みにどれほどの痛みが込められているかをうかがい知ることができよう。

ここで最初に保留していた再現性の問題に戻ろう。とはいえここで問われるのは再現芸術としての演奏についての一般理論ではない。あくまでバルトークにとっての演奏=再現についてを論じるにとどめ、またその際も議論の見通しをよくするためにあえて単純化を施してあることを断っておく。バルトークにとって演奏は楽譜の即物的な再現ではない。それは楽譜の深層にあるもの、その曲を生み出すに至った場所にまで遡行する行為だったと推測できる。すると彼特有の精密な記譜に関しても別の見方ができる。それは演奏者を縛ることが目的なのではなく、読み取られるべき深層への道すじを可能な限り正確に記そうとした痕跡だろう。特にいくつかの民謡編曲のように本来採譜不可能であるものをどうにか楽譜に記した場合においては、その複雑さは原曲(演奏)が持っていた自由さを再現するための逆説的な手段であったと読みとることができる。

だがもう一度議論を戻すならば、やはりその複雑さは異なる二通りの解釈可能性を孕んでしまう。例えばそれはゲオルグ・ショルティとピエール・ブーレーズという、ふたりの歴史的なバルトーク解釈者において典型的に表れる。バルトークの演奏においてショルティはオーケストラから絢爛豪華なサウンドを引き出し、まさに血沸き肉躍る演奏を繰り広げる。特に名演の誉れ高いシカゴ交響楽団との《管弦楽のための協奏曲》や《舞踏組曲》などに、その最良の例を聴くことができる。バルトークの発想の起源を身体で知っていたハンガリー人指揮者ならではの、その作品の起源となっている民俗(族)性や感覚を再現したような演奏と言える。

一方ブーレーズの指揮するバルトークの演奏に、そのような興奮を見出すことは難しい。ショルティの演奏においては、それぞれの奏者のインスピレーションが、指揮者の圧倒的ドライブのもとに統合され大きなうねりを作り出していた。それは作品の起源である作曲者の感情や、彼が大きなインスピレーションを得たハンガリーの民俗音楽のあり方の体現であった。ブーレーズにおいてはしかし各奏者の自由度は低い。演奏は興奮の渦の中における止揚を目指すのではなく、あくまで個と全体とのバランスの上に成り立っている。それは楽譜に書き込まれていることを最大限緻密に、かつ効率よく再現するアプローチ、と言える。それはいわば聴く者に作曲者の感情ではなく、楽譜そのものを見せるようなあり方である。

いままでの議論から言えることは次のことである。バルトーク自身の残された録音から推測する限り、私たちはショルティ流のアプローチを作曲家の意にかなったものとみなすことができる。それは作品の起源としての霊感を探り、そこにシンクロすることで音楽を表現するというあり方だ。それは楽譜に記されたものをその譜面上に留まり、逐一音にしていくというような演奏ではない。とはいえでは実際にブーレーズのようなアプローチは退けられるべきかというと、おそらくそうではない。そのようなアプローチは《協奏曲》のような作品においては聴き手に不完全燃焼感を与えるかもしれない。だが、《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》のような曲においてこの上ない効果を発揮する。テクスチャーの濃密さに比して大規模なアンサンブルのために複雑さを同曲は、ブーレーズの類まれな耳をしてはじめてその構造や技法の精緻さが浮き彫りにされうる。

結局、バルトークの作品には深層を掘り起こすことと、表層に滞留することの両者を要求するモメントが存在している。そしてバルトークを音楽史上有数の作曲家たらしめているのは、その後者において聴き取られるような書法の洗練においてである(注2)。バルトークが単に遅れて現れた国民楽派のひとりとしてみなさるのではなく(より洗練されているとはいえ)、音楽史上独自の地位にあるのはその理論的側面への評価が大きい。バルトークは他の学者や作曲家が分析し見出した自身の音楽の理論や構造については、懐疑的なことも多かった。だが実際には大成した作曲家の仕事としてはそのような側面が評価された。独自の調性体系(中心軸システム)や数学的厳密性の可能性ばかりを評価することは、バルトークの真意に照らせば誤解といえる。だがそれが歴史を形作っている以上、単純に否定されるべきものではない。

もういちど当初の問いに戻る。つまりバルトークがドビュッシーの音楽に、演奏家に不自由を強いるような厳密性をみていたのではないかという点についてである。これまでみてきたように、バルトークは自身の演奏においてその厳密性の保持を、言い換えれば楽譜を即物的に立ち上げるということを第一義としなかった。それを考慮するなら、上に述べた推測も誤りであるとするべきであろう。事実、バルトークはドビュッシーを「今日におけるもっとも偉大な作曲家」としながらも、その最大の関心はハンガリーの民俗音楽との共通性にあるように読みとれる(「ドビュッシーについて」)。それは「古いハンガリーの、主にセーケイ地方の民謡にも見られるような、五音音階風の語法」や、「パルランドによるハンガリー民謡の朗唱法と遠い類縁関係にある」《ペレアスとメリザンド》で用いられたレチタティーヴォ風の朗唱である。また私たちが再現の厳密性をもっとも要求すると論じた練習曲集については、前奏曲集ほどの新鮮さはないとしている。

ではこの推論自体も間違っていたのだろうか。実証的に照らし合わせるならば、誤りであるといえる。単に誤解として退けられるものかもしれない。だが、先にみたようにそもそもバルトークの音楽そのものが解釈の決定不可能性を孕んでいた。そしてそのある種の誤解が歴史をつくり、作曲家自身の意識していなかった可能性を開示した。それは作品が作曲家を超えた、より一般化して言うなら、テクストが作者を超えたということである(注3)。そしてドビュッシーの例に即して続ければ、それはそのテクスト同士の呼応によってテクストの新しい可能性が読み込まれたということを意味する。

おそらくここに、演奏の可能性のひとつがある。テクストを通して、テクストを解釈すること。バルトークのテクストを通して、ドビュッシーのテクストを発見すること。それは現時点の音楽史においては誤解である。だがその可能性へのに開かれることこそが、来るべき音楽史の豊かさをも担保している。テクストをテクストとして読んでみること。楽譜の示す不自由さに従うこと。この不自由のなかにこそ、演奏することの自由がある。


注1:バルトークの創作歴をたどるなら、このようにピアノ曲の創作にみられる弁証法的過程をオーケストラ曲においても見出せるように思う。1936年の《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》から39年の《弦楽のためのディヴェルティメント》を経て、43年の《管弦楽のための協奏曲》へ至るという道すじである。

注2:ここでは民俗音楽研究者、またそこに大きなインスピレーションを得ていた作曲家としてのバルトークの側面とその評価は捨象されている。これはもちろん議論の整理のためであって、否定が意図されているのではない。

注3:ロラン・バルトが作者の死を論じて、テクスト論の地平を開いてから半世紀が過ぎている。今さら作者の死をもって新しいことと主張すべきだとは思われない。とはいえ実際の演奏の現場においては、作者(作曲家)というのはいまだあまりに強い存在である。再現芸術という特性上、そのこと自体を否定することはできないが、現実の作曲家とテクストの先に事後的に見出されるいわば統制的理念としての作曲家は、演奏のあり方や音楽観にとって資するところがあるのではないか。
 また演奏においてテクストという概念をどう適用するか、誰のテクスト論に準拠するかという問題も考慮される必要がある。学問的な厳密性を期するなら、音楽記号学その他の知見に沿って論じなければならない。とはいえここでは、演奏や楽譜を読むという実践に即して論じることが第一義としてあるため厳密な論述はひとまず措いた。これについては別に整理される必要があるかもしれない。

*引用は伊東信宏・太田峰夫訳『バルトーク音楽論選』(ちくま学芸文庫、2018)所収、「ドビュッシーについて」より。

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