ふれるタイミングは常に不安定

焼き魚を好きになったのはいつの頃か。幸いにも老いた中年期も肉が苦手だの油がもたれるなんてことはないのだけれど、若干パサパサするくらいの白身魚を塩焼きにしたものが今はとても好き。

刺身も食べられないではないし、昔はそれなりに購入していたが、くじらだの馬刺しだのを除けば生で食べたいとは思わなくなった。理由としては魚はアニサキスちゃんが怖いのと肉は食中毒。なったことがないからこそ恐怖は募る。

ただ、アニサキスに限らず、魚には寄生虫が潜伏しているリスクはあるし、生き物を食べる際には、本来は捌く過程があることは知るべきか。最近の小中学では、残酷だということで解剖の時間がないところも少なくないようだが、、、。


性教育と解剖などについて、どの時期にそれを行うかという問題は大きいような気がしている。私は独身であり子はいないが、姪たちがどのタイミングでそれを知り、どう考えていくのかは心配である。

青年期くらいまでは愛だ恋だと騒いでも、そこに性欲が絡まないことの方が珍しいだろうし、プラトニック(笑)な付き合いが望ましいなんて思わないので、心身共に互いに傷付かぬための避妊に対しての知識や情報はアナウンスすべきと考えている。


今は私が過ごした思春期とは違い、様々な情報が電子の海に漂っているが、どのタイミングでどんな情報に接するかなんて選べないのは同じかもしれないし、デマに対して懐疑的になることも必要なのだが、猜疑心強すぎて好奇心削がれてもつまらないだろうから難しい。

大人がどれだけ心配しても、若者には若者にしかないルールや生存競争があり、どれだけレールを敷いても思い通りになど歩くはずもない。

大事なのは、それぞれの場所で傷ついたり、ボロボロになった彼彼女らにたいして、どのようなセーフティネットを張るかなのだが、そんなたいそうなことを考えられる人間ではないし、ドロップアウト組に近しい人間として姪にこうはならないようにと願うくらいしかできない。

経験至上主義ではないが、体験しないとわからないことがあるのもまた事実で、どんなタイミングで何に触れるかなんて、相手がちびすけ時代くらいにしかできることではないのだろう。

なにが好きで、どうしたいかということも、与えられる者でなく構築していくものなのだから。

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