蜜の味と罪の匙

人の不幸は蜜の味なんてことを昔の人は言ったそうですが、結局それはみなさま他人事だからなわけで、そいつを醜いなんて思っちまうわけですが、映画や小説を好むひとは映画【トゥルーマン・ショー】のように、のぞきみちゃんなわけです。本質的には。

そもそも、人は生まれながらに罪を背負っているなんてもうしますし、ご存知のように100人いればその数だけ思考パターンも行動様式も違うわけです。罪の味も似通ってしまう部分はあるけれど成分的には違うはず。

また蜜は、蜂がどんな花粉を持ってくるなで味が大きく変わる。よって、蜜の味も罪の匙加減も当然のようにバラバラなわけです。罪なんて国によっても時代によっても変わるからね。禁酒法とか。

他人の不幸が甘美に感じるなんて勘弁してくれよ、性格悪いぜと思うのですが、本邦におきましても報道番組で流されるのは、ほっこりするような良い話より、誰かが殺されただとか、事件の裏側には何が!とか、その類が多い。

だからこそ、己で取捨選択しやすいSNSだのYouTubeに人が流れるんだろうな。好みの味しか食べなくなると栄養偏ってしまうから、望ましいことではないけれど、かと言っておぞましいとまでは言えないし、言いたくないのが実情。

野次馬根性、のぞきみちゃんであることを自覚しながら、愛しさと切なさとこころもとなさを抱えて、相互に作用しあって化学変化していけたらいちばんいいのかな。

蜜単体では甘さばかりを経験しかできないし、苦味もしょっぱさも相まって、美味しいお菓子や料理となるのですから。つまりは匙加減ってことか。

おあとがよろしくないようで。

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