敬老の日に思うこと

敬老の日。敬うべき先達であって欲しい方々を【老害】と揶揄したり嫌う空気があるのもまた事実。世代間格差や、社会保障費の報道で高齢者を悪者扱いするから、なおさらその傾向が強くなる。

ある社会学者は、年寄りは集団自決しろといった論旨の発言をして話題になったが、まさか自分が大人になってから新たな姥捨みたいな思想を見聞きするようになるとは思わなかった。これが貧しさや、衰退の象徴なんだろうか、、、、。


私の祖父の世代は、戦後日本の経済復興を成し遂げてきた世代であり、そもそもが先の大戦に従軍してきた。家父長制が存在していたこともあるが、今日の日本を作るために尽力してこられた世代ということで、自然とリスペクトをもてたのだろうし、教育も目上の人を敬うべしという教えを説いていたのだと思う。

だが、バブル崩壊後から今日に至るまで、政治や社会構造が人間切り捨てを肯定しているかのような精度設計になっていったり、上級国民うんぬんと揶揄されるような既得権益を持った高齢者が起こした事故に対する特別な配慮みたいなものがヘイトを読んだこともあるだろう。

世代間闘争に至らず、既得権を持つものと、虐げられ続ける世代(氷河期世代、ロスジェネ、棄民世代)を見てきた若い世代は、ただただ歳上の行いにげんなりし、冷笑的な行動をとるようになるという悪循環。

自分の場合は、厳しくも優しい祖父母や、比較的フラットに戦争に関するあれこれを考えることができたので、高齢者というか先達に対する感謝の念があるけれど、そもそもが高齢者と同居する経験をして、上から下に伝えることや会話が繋がっていかないと、なかなかそういう感情の伝承は難しいのではないだろうか。

長く生きてこられた方達は、歴史や時間の経験者な訳で、ネットや書物、動画だけではわからないような知恵、空気感を伝えてもらえることができるはずなんだけどな(当然、全員が全員知恵を持った方とは限らないんだけど)。

敬う気持ちが持てる相手であれば1番いいけど、互いの違いを尊重しながら共生していけたらいいのにね。

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