人と住めない

親類と旅行をしているのだが、相手がリアルジャイアンかつ、気分屋なので普通の話が成立しない。フェアに語るなら、あちらも私の理屈っぽさにはストレスを蓄積させていることであろう。

昔々、当時の彼女と山形に旅行に行った際には付き合いたてということもあったが、あまり喧嘩しなかった。思えば彼女はずっと大人で、私が甘えていたのだな。ボロボロにぶつかりあって砕けてしまったけれど、申し訳ない気持ちがある。彼女には彼女の苦悩があり、私には私なりの苦い気持ちがあったが、溶かすことができなかったのはどちらも。心が狭かったのは私。

自分と相手は違う人間なのだから、行き違いも感情のもつれも当然あって、放置することも、時間に委ねることも必要だとは思っていたけど、さらけ出して、ぶつかり合って、分かり合えるだなんて思ってしまって、その結果が袂を分かつことになるという皮肉な話。

人と人がうまいことやっていくのは、違いを認めることと、適度な無関心による最適な距離感の保ち方を互いに見つけていくための試行錯誤なんだと考えているが、頭で考えられても実行できないのでは絵に描いた餅でしかない。

これから先も、一人で転がっていくしかない未来が待っているけれど、それはそれで仕方がないし、人を傷つけてもぶつかりあうべきだなんてことは言えないから、媚びたり、嘘をついてまで誰かといるよりはまだマシな気もするんだ。

傷つけたくないだったり、傷つきくないと口にしないでフレンドリーに上手に渡り歩ける人もいるし、柔らかに周りを楽しませることができる人もリスペクトしているが、重ねて真似できるとは思わない。よれた絵のトレースなんて誰も見たくないからさ多分。

旅の疲労も鬱屈もあろうが、それでネガっているわけじゃないんだよな。旅の最中だからこそ、自分に向き合って、ああ、やはり自分は人と関わるのが苦手だし、そうしないほうがいいんだろうなと腑に落ちてしまう。

残念なことだ。非常にね。

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