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モロッコのころも

タイトルは関係ない。本件とは関係ないってなわけでもなく、関係ないのはモロッコで、衣について。
衣というと、天女の羽衣を思い出しますが、あれって明らかに主人公男子が悪いですよね。しかも羽衣を奪ったら女子は全裸だってのに、犯罪だ、あれは明らかに。

ともあれ、今回自分が問題にしたいのは昔話の主人公の最低具合ではなく、フライドチキンの主役はチキンよりも、衣をつけた皮のカリッとした部分であるという主張です。同様に、トンカツなどのフライ系の衣も、本体よりもあれが主役だと思う。

もちろん、具を揚げるのだから具が主体ではあるのだけれど、主役は衣だと思う。
衣がなければ、フライは成り立たない。なんだったら、トンカツの挙げている衣の部分だけでも成り立つと思う。毎日だとうんざりするだろうけれども。体に悪そうだし。


天麩羅の場合、天かすというものはありますが、そこから衣だけを抜き取って食べたいという気持ちにはならないのですが、フライドチキンの場合もフライの場合も、あの揚げてある部分だけを格安で売り出したら、案外好評なんじゃないかと思う。竜田揚げも唐揚げも、皮部分だけだとちょっと・・・と思うけれど、パン粉と卵で揚げたフライのあの部分ってのは、結構それだけでも食べられる気がします。ある意味で揚げパンの細分化みたいなものだからか?

となると、衣で覆い隠された中身ってのは、あまり問題では無いのかといえばそんなことはなく、やっぱり中身を表すための外見であるのが普通なのでしょう。衣装だけを見て美しいと感じることがあるように、自分の場合はフライ類の衣は美味いよなと思っているだけで。

モロッコというと、映画のカサブランカを思い出しますが、あとは性転換の名所というイメージ。
そこでも男子という衣を剥いで真実の姿にメタモルフォーゼする人が多々存在したのでしょう。
モロッコの風という本もありましたね。砂漠と文明、モロッコ・・・・。

言葉遊びだけでタイトルを決めたけれど、人間が普段まとっている表面の衣が美味しいと思うなら、そこだけを愛する人は、ある意味で幸せなのかもしれない。裏側を考えず、表向きで幸せを噛み締められるなら、それはそれで本人が幸せならいいのかもしれませんね。

自分の場合、フライの衣は大好きで、それ単体でも美味しいなと思うけれど、それでもやっぱりフライは中身と外見があってフライなんだなと思いました。同じように、人と接することでも、人生に於ける事でも衣も中身も噛み締めていければと思います。

いやでも、フライの主役は衣だと思うんだ。本当に。

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