セルフ人生

朝方、コンビニのレジは無人であった。ホルモンチャーハンとハニーラテを手に、無人化・機械化の波はここまで進んだのだなと思った。なにせ、店員がいないだけで、セルフレジへの案内は何もない。空気を読めと言わんばかりに無人の店内と私とホルモンチャーハンとハニーラテが、、、。

近頃は人手不足+経費削減のためか、ファミリーレストランでもロボが食事を運んでくる店が増えた。配膳ではなく、あくまでも運搬であり、最終的には利用者である客が料理を取る。

回転寿司でもよくあるものだが、仮にもレストランを名乗りながらも客に料理を取らせるのはどうなのか。バイキングレストランもそれを言い出せば同罪か?ともあれ、昨今の機械化は便利なのだろうけれど、いささか不気味でもある。

逆に無人化コンビニが成立するなら、店員などいらんのではないか。そして、やがてはそちらの方向に進んでいくのではなかろうか。無人の冷凍餃子販売所に盗人が入り、警備会社への通報で逮捕となったが、そうした賊への対応がなされていくなら、無人化は絵空事ではないのかもしれない。

手塚治虫の未来像や、松本零士の銀河鉄道999の機械の体をうんぬんという話は、皮肉にも預言者のように現実を言い当てているが、その行き先は人類滅亡や機械に支配される未来ということになる。ありえないはなしでもないというか、既に人間は己が開発したテクノロジーの制御に苦しみ、酷い被害を被っているではないか。

セルフレジというものは、顧客側のメリットは名前の通りに自分でレジを通せることで、友人のレジよりもスムーズに会計を済ませることができる可能性があるし、電子マネー決済ができるレジなら小銭を用意せずとも済むのでよりスムーズになることもある。

が、自分でレジをするからと、その分だけ会計が安くなるわけでなし、本来的にはなんらかのフィードバックがないと成立しないような気もするが、対面せずに自分でさっさと会計できるからタイムイズマネーで還元はできてるでしょという理屈なのかしらん。

接客・接遇を叩き込むよりも、顧客に機械の使い方を教える方がコストも手間も掛からないということか。最低時給も上がるし、効率が人情やふれあいよりも上位に来てしまうのは資本主義では当たり前かもしれないが、なんだか寂しいものだな。

自分と機械であれこれが回っていくならば、人生そのものもセルフになるのかもしれない。セルフ食事、セルフ恋人、セルフ結婚、セルフ火葬。なんという断絶された世界だろう。人によってはそれがいい人もいるだろうけど。

面倒でうざったいことがほとんどだけど、やっぱり私は誰かと人生を過ごしたいと思ってしまうな。

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