ユーレイ・ユーレイ

私には霊感はないが、夏になると定期的に怪談や百物語が開催され、またそのチケットが販売されて、ものによっては完売までする状況を考えると、日本には妖怪か幽霊からわからぬが、見えざるものに対しての畏怖の念と同時に、怖いもの見たさの感情を持つ人が一定数存在するのだと思う。

天使と悪魔という西洋の概念のみならず、日本ではあらゆるものに神が宿るとされていた時代があり、神や仏が唯一のものではない。アミニズムに近しいのだろうが、生命を持つものだけでなく、無機物や自然の作用にまで神性を付与する民族は珍しいのではなかろうか。

そんな国だからこそ、中国からの輸入品である鬼や鬼神の類だけではなく、多種多様の妖怪や怪異、幽霊譚を持ち合わせたのかもしれない。

冒頭で述べたように私には自覚する霊感はなく、これまでの人生で怪異を目撃したのは人魂を見たくらいなのだけれど、亡くなった方を土葬していた時代ならまだしも、既に火葬が一般的な時代に育ったから、亡くなった方から抜け出したリンが燃えている状況を見間違えたわけではないと思うのだ。

ゲゲゲの鬼太郎や悪魔くんなどの水木しげる作品を読んで育ったので、イマジネーションと刷り込みの複合で幻をみたねかもしれないが、青白い、もちもちした巨大なおたまじゃくしのような物体が、ふわふわと動いて、ふっと消えたんだよな。不思議、、、。

どちらかと言うと、亡くなった人間よりも、生きている人間の怨念含む感情の方が恐ろしいと思うし、事件や事故の原因のほとんどが、そういう人間の本性によってのものだと思うが、それはそれとして、死してまで消えぬ憎しみや怒りというものが幽霊や怪異になるのかな。

BUMP OF CHICKENは見えないものを見ようとし、B'zは見えない力が僕を突き動かすと言っているけれど、みえないけれど、確かに存在する類のものは、見えないからこそ意味が生まれるんだろう。

幽霊は幽かな霊であり、微かに見えるか見えないかの類いであろう。これもまた、人々の未来に対しての幻想と同じで、見えない明日に思いを込めて、過ぎた時間を己の中で消さずに存在させている。幽霊とはつまり人の見る過去なのか。

そんなくだらないことばかり考えているから、残像としてのゴーストばかりを見て、会いたい人に夢の中でさえも会えないんだろうか、、、。そうか、ないのは霊感だけではなく、信じる気持ちなのかもしれないな。

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