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デッカくて果てのない海にプカプカ浮かびながらずっと遠くの空を見ていたら、いつの間にか海…

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デッカくて果てのない海にプカプカ浮かびながらずっと遠くの空を見ていたら、いつの間にか海に浮かびながら空を見てるのか、空に浮かびながら海を見てるのかが分からなくなり、そのどこでもない隙間にどこを目指す訳でもなくただずっと浮かんでいる。そういう事が好きだという事実だけが分かった

最近の記事

    • 本当に好きなもの

      生きた年数が増えるに連れて手の届く場所は広くなり、望もうが望むまいが出来ることが増える。子供の頃は私の周りを取り巻いていた環境はとても狭く、無知で、望まないものはあまり出来ませんでした。 大人になれば少し望めば手に入ってしまうものや、本当にやりたい訳では無いのに出来てしまう事は必然的に増える。本当に心から欲しいものは何なのか、心からしたいことは何なのかが分からなくなる事があります。多くの人はその様にして道に迷うのかもしれない。 幼い日の自分は何に目を輝かせていたか、必死に

      • 雪に埋もれる

        思い返してみて初めてやっと、その時は分からなかった事が分かったりします。本当に分かったのか、それは本当に事実なのかということは置いといて、時間が経って振り返るとあの時のことが分かったような気がすることがある。大抵のことはそんな風な気がします。 今まで「今年の夏をより楽しく過ごせるかもしれない」だとか、「何か新しい刺激的なものを得られるかもしれない」だとか、そういう淡い期待からなんとなく誰かと一緒に居始めて、実際に楽しく夏を過ごし、しっかり泣いたり笑ったりした後、決まって同じ

        • 人生は遠回り② ~古い記憶~

          幼い頃、仮病で学校を休む事が多々あった。 学校に行くのが気怠かったというのも理由のひとつだったが、ただ母と一緒に過ごしたいというのが1番だった。 私がいくら上手く芝居を打った時でも、おそらく母には私が仮病を使っている事など丸っ切りお見通しであった。その証拠に、幼い私が嘘の頭痛を訴えた時、「頭痛薬だ」と言って母が私に飲ませてくれていた薬はビタミン剤だった。その事は、わたしが大人になってから分かった。それでも母は、大抵の場合黙って学校を休ませてくれていた。

          1年

          気づかぬ内に最低の日から1年が経ったことに気が付きました。 それと同時に、1年もの月日が経ったにもかかわらず空いた穴がまだ塞がって無いことにも気が付いてしまい、その最低さで1年前の最低の記録を更新し、めでたく今日が1番最低な日になりました。 この1年、まさかこんな風に過ごせるとは想像も出来なかったくらいの幸せな瞬間も、楽しい瞬間も沢山ありました。でも、この事実に気づいてしまった今日、この1年間のそれらの瞬間は"時間が全て解決してくれるという安心"の元にあったものだということを

          アメリカ生活を振り返る⑴

          12時間のフライトでバキバキになった体でLAXに着いた飛行機を降り、乾いた空気と少し甘い匂いを感じたのが最初でした。 いつか忘れてしまわない様自分の為に、思い出した事を書き残しておこうと思います。順を追って振り返るのは難しいので飛び飛びに記録します。 6月下旬、語学学校が始まる。前半は一応大学が配っていた学生用フリーフードの列に並んで、お菓子やカップ麺を貰って節約に努めた。たまに大学内のキッチンワゴンで売ってた2ドルのフレンチフライか1ドルのホットドッグをお昼に食べた。ホス

          アメリカ生活を振り返る⑴

          残しておきたい、苦しい程最高の気持ちとアウトプットの仕方をまだ知らない自分へのフラストレーション

          残しておきたい、苦しい程最高の気持ちとアウトプットの仕方をまだ知らない自分へのフラストレーション

          人生は遠回り ⑴

          「なるべく良い大学に入れれば良いかなあ」となんとなく私立の進学校に入学して、結局勉強は全くせずに高校生活を謳歌していた。それでも後半になってくると、クラス全体の雰囲気が"大学受験モード"になって来る。自分は特に行きたい大学も無かったけど、唯一興味がある事は絵を描く事と英語だった。「美大に行くか外語大に行くかか、、、どうしよう。」一応迷ってはみたものの、美術予備校に通い始めるには時期が遅過ぎるし、ろくに勉強もして来なかった自分に外語大受験は難しそうだった。 どうにかこうにか受

          人生は遠回り ⑴

          一生楽しく生きる

          独りでボーっとお酒飲んでたりしてると、自分の人生の目標て何だろうなーとか考えるあるある、ある。幸せとは何ぞとか、お金か夢かとか、考えてみるあるある、あるよね。 やっぱりいっちゃん良いのはお金も夢も両方ってやつだけど、お金があって夢も叶ったらバッチリ幸せなんかなて考えると、そりゃあ限りなく幸せだろうけど100%幸せかどうかはまだ分からない様な気もする。 そうなってくると、幸せとは何ぞ?に焦点を当ててもっと深掘りしなきゃいけないことになる。 いやーやっぱりやっぱり、お金があろ

          一生楽しく生きる

          夜と戦う

          夜になると毎日余計なことばかり考える。 考えたってどうにもならない事と、考えない方が良い事が頭の中に溢れる。何故だろう。 今の私にはほとんどアートしか縋るものがない。 それ以外の幸福とか楽しみとかはほとんどどこかに落っことして来てしまった様で、いくら探せども見つからない。 何が不満なのかと目を凝らして見ようとしても、視界全体にぼやがかかっている様な具合で上手く見渡すことができない。それが分からないことには改善のしようもない。 ふと足を踏み入れてしまった森の中で、突如現れた蟻

          夜と戦う

          ゴッホという画家

          かの有名なフィンセントファンゴッホという画家が生きた人生のほんの一部を垣間見た。 初めてゴッホのひまわりを見た時、それが描かれた経緯や彼の想いを知らずとも魅力的だと感じたけれど、どんな気持ちでどの様にして描かれた絵なのかもっと深く知りたいと思った。 語り継がれた話の一説によると、ゴッホは孤独な芸術家だったと言われている。 日本版画に見る色鮮やかで明るい風景に魅せられていたゴッホは、明るい空を求め、弟テオを頼りに南フランスのアルルに小さな黄色い家を借りた。 その家で画家

          ゴッホという画家

          "エモい"とその言葉の裏にある感情

          「エモい」という言葉がある。同時に、なんとなくそれを馬鹿にする風潮もある。その言葉自体が持つ意味が軽いか重いかは分からないけど、人がある時ある瞬間に感じた美しさとか儚さとか感動を「エモい」という言葉で表したのであれば、それは一生その人の頭の片隅に残るかもしれない重大な瞬間を表した大切な言葉な訳で、その大切な感情をたった3文字で表現してしまう事が良く無いということなのか、日常の中にある小さな瞬間にいちいち感情的になっている事をダサいと思うのか、「エモい」に対する風当たりが強い所

          "エモい"とその言葉の裏にある感情