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雪に埋もれる

思い返してみて初めてやっと、その時は分からなかった事が分かったりします。本当に分かったのか、それは本当に事実なのかということは置いといて、時間が経って振り返るとあの時のことが分かったような気がすることがある。大抵のことはそんな風な気がします。

今まで「今年の夏をより楽しく過ごせるかもしれない」だとか、「何か新しい刺激的なものを得られるかもしれない」だとか、そういう淡い期待からなんとなく誰かと一緒に居始めて、実際に楽しく夏を過ごし、しっかり泣いたり笑ったりした後、決まって同じく春風みたいにサラリと離れ離れになって来ました。

ある人からは知識教養の大切さとロマン、人間の性分、自分で楽器を弾く楽しさ、車と自転車の美学、裏切りが自分の心に与える傷の大きさを学びました。

初めて友達以外の誰かと行く夏祭りの楽しさを知り、いつもより少し大きく見える花火の下で「来年もまた来よう」と言ってもらった時の気持ちをまだ覚えています。初めて東京のイタリアンレストランでクリスマスディナーを食べて、お財布を持ってレジを探していたら「テーブルチェックだよ」と少し呆れたような顔で言われた時の恥ずかしさも覚えています。浮気相手の女の子に呼び出されて目の前で泣かれ、慰めてしまった後に感じたなんとも言えない気持ちも未だに覚えています。

ある人とは鍋の作り方、アクション映画の面白さ、裏原宿での遊び方、フィルムカメラの面白さ、音楽の奥深さ、アングラなカルチャーの広くを一緒に探求しました。

学校近くの公園やマクド、なんなら何にもないただの駐車場で何時間も何時間も話をしました。終電の時間は変えられないから、せめてなるべく早く集合しようと朝7時には集まり、お店が開店し始めるまでの間もただただ一緒に居ました。家に帰っても「早く会いたい」という話題だけで夜な夜な長電話が出来ました。高校生のガキには渋過ぎる大人なお店に勇気を出して入ってみたり、やっぱり場違いですぐ出たり、飲み慣れないお酒をしこたま飲んで3日寝込んだり、アクション映画を観た後には毎回戦いごっこをしたり、旅行に行く時には1人1台フィルムカメラを持ってお互いを撮り、一緒に現像した写真を見ながら電車に揺られて帰ったり、いかにも青春らしい青春を真っ直ぐに過ごしたことを覚えています。

ある人からは、愛と感謝とリスペクト、自分の1番心地が良いと思える場所を貰い、同時に世界平和とコアな音楽の歴史、自然の素晴らしさ、人間の二面性、強い女でいることの魅力を教わりました。

普段は自分の中だけに留めている「いつか何もかも失ってしまう恐ろしさ」が突然込み上げてきて耐え切れなくなり、泣いていることには絶対気づかれない様寝ているその人の横で息を殺していた夜、突然飛び起きて優しく訳を聞こうとしてくれたことを覚えています。誕生日の日、きっと物凄く時間がかかったであろう手作りのプレゼントをくれた事。酔っ払ってどんなに酷い醜態を晒しても必ず無事に連れて帰ってくれた事。熱を出した夜に作ってくれた具沢山で優しさの詰まったお粥の味。何に対してもいつもすごい凄いと褒めてくれた事。今でもしっかり覚えています。

今まで見せてもらった景色、言われた台詞、教えてもらったこと、受けた傷。その全部を有り難いと感じています。有難いと俯瞰して思えるのは、それらが全て過去のものであるということを本質的に自覚出来る様になっていて、それらの全てが自らの成長の肥やしとしてしっかり消化され、栄養分になってしまったからです。あらゆる夏の思い出は時間が経てば分解され、次の夏の為の肥料になる。それが分かっているから、冬の間は安心して眠っていられる。確かにそう思っていました。


しかし、たった一人のある人には、それまで私が蓄えてきた肥料の全てを与え、学んできたことの全て伝え、そして裏切り、受けてきたほとんど全ての痛みを持って傷を付けました。その人の記憶だけが忘れられず、肥料になる事もなく、ずっと私の心を切り刻み続けているのです。

血の繋がった兄弟なのでは無いかと錯覚する程に気の置けない人でした。
映画を観ていて泣くタイミング、笑うタイミング、お風呂で熱唱する歌、煙草を吸い始めた時期、好きな服屋さん、育った環境、フットワークが軽くなる場面と重くなる場面、学んでいる事。大切なことの大体が驚く程に似ていて、とても他人とは思えない様な人でした。

それこそ最初は本当に兄弟みたいな関係で、お互いをブラザーと呼び合い、じゃれて罵りあいながら朝まで一緒に宿題をやったり、たまにちょっとだけ悪い事をして遊びました。

初めて手を繋ぎながら無言で見た、タクシーの窓越しの夕日を、彼はきっともう忘れてしまっているでしょう。大きなカートを押しながら一緒に選んだ家具を、何回洗っても顔に毛玉が付く緑のタオルを、どちらがコインランドリーに洗濯物を持っていくかのジャンケンを、彼はもう覚えてはいないでしょう。プッシュで帰った朝方の2マイルを、喧嘩をして顔に投げつけたTシャツを、モーテルで食べたジャンクフードを、スプレータイプのオールドスパイスのせいで苦かった肌の味を、寝坊した朝には良く口に放り込んだ1ドルのバナナマフィンの味を、彼はきっと、とっくの昔に忘れてしまったことでしょう。

いつも枕の下に隠していたお菓子。格闘技なんか全くやったことないくせにたまに突然始めるシャドーボクシング。お腹いっぱいになるとすぐ虚無の顔になる癖。とにかくどのお店でもスープを頼む事。寝起きのとんでもない機嫌の悪さ。コンビニで決まって買うジャスミン茶。ちょっと服屋さんでバイトしただけで、洗濯物の畳み方にうるさくなったこと。誕生日に自分で買っていたGUCCIの尖ったブーツと、誕生日でもない日にノリで買っていた蛇財布。たまにしか更新しないSNS。東京では決まって泊まる1番安いホテル。空港まで送ってくれる車の中で泣きながら歌ってくれたKOHHのREAL LOVE。私が本当に馬鹿なせいで傷付けて、傷付けて、それでも愛してると言ってくれた時の表情。10年後も隣に居てくれたら良いなと言ってくれたこと。あの、愛しても愛し切れないほど真っ直ぐに笑う、不細工で可愛くて、一番素敵な笑顔。何度も何度も一緒に見た真っ白い雪。

私は、私だけはその愛おしい全てをずっとずっと覚えていることでしょう。どれ程忘れたくても忘れられず、肥料にも出来ず、雪の中に大切に埋めたまま、何度目かの夏が来ていつか溶けて無くなってしまう事をどこか恐れながら、そして心から望みながら、永遠に冬を嫌い続けるでしょう。


私が溶けることのない雪に埋もれている間、彼は私の全てを消化し、肥料にして大きく遠くなって、私を忘れていくのです。それまで私がしてきた様に。

私は夏を愛しています。冬は大嫌いです。




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