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【歴史概要20】第4回十字軍・アルビジョワ十字軍

①第3回十字軍から10年ほど経った頃
教皇インノケンティウス3世によって第4回十字軍が開始される。

②今回は国王が主導するのではなく諸侯連合となった。シャンパーニュ伯やフランドル伯など70人あまりが参加しイスラーム勢力の中心部であるエジプトを攻撃する事となった。

③兵員を輸送する船団を提供する権利はヴェネツィアが獲得した。ヴェネツィアはアイユーブ朝との間でアレクサンドリアなどへのヴェネツィア船舶の入港を認める代わりにエジプト遠征は行わないという協定を結んでいた。

④1201年にヴェネツィアに集まった兵員は予定の1/3、1万あまりだけで船員にも事欠いた。ヴェネツィアはヴェネツィア領で当時ハンガリーが支配していたクロアチアのザラを奪還することで不足船員にあてるという契約を結んだ。

⑤インノケンティウス3世は怒り十字軍を破門しようとするが、弁明によって破門解除となった。この十字軍をビザンツ帝国の亡命皇子アレクシオスが訪れビザンツ皇帝位獲得の依頼をした。十字軍は同意しコンスタンティノープルを攻略、失脚していた父親とともにアレクシオスを皇帝に擁立した。

⑥新皇帝は約束の金額を支払えなかったので怒った十字軍兵士はコンスタンティノープルでの略奪をした。この混乱でビザンツ帝国は皇帝がいなくなり一時滅亡した。フランドル伯のボードアンによってラテン帝国が建国される事となる。

⑦インノケンティウス3世はこの事態を東西教会が統一されたとして喜んだと云われている。第4回十字軍参加諸侯たちはビザンツ帝国の領土を分割して満足して遠征はしなかった。

ビザンツ帝国の遺臣はニカイア(ニケーア)帝国やエピロス君侯国のような国を建てた。

⑧1261年にビザンツ帝国は再建されたが、明らかに弱体化していた。後にオスマン帝国によって滅ぼされる遠因もここにあった。東方正教会は蛮行を行ったカトリック側と仲がさらに悪くなり20世紀に至るまで和解の動きはなかった。

⑨12世紀の後半、リヨンの商人のワルドは貧民救済活動を始めた。南フランスでは11世紀からカタリ派とよばれる勢力が商人たちの支持を集めていた。マニ教の影響を受けており、東方起源であった彼らは教会のあり方を批判した。

⑩カタリ派の中で南フランスのアルビを中心とした派閥はアルビジョワ派と呼ばれた。この勢力は強かったので教皇インノケンティウス3世はこれを討伐するために十字軍を結成した。

フランス国王のフィリップ2世やルイ9世は王権伸張に利用するためこれに参加した。

⑪アッシジの聖者フランシスコやスペインの修道士ドミニクスといった教会や修道院を持たず民衆のなかに入り正しい信仰を説く人々もいた。多くの支持を集めて教皇にも公認されたが結果的に異端の討伐に協力し教会ヒエラルキーに取り込まれてしまった。

■参考文献
『30の戦いからよむ世界史 上』 関 眞興 日本経済新聞出版社

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