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あれから7年経って思うこと。

「私は世の中に対してどのような生産性がありますか?」
おはようございます。
あの事件から7年を迎えてもなを上記の問いを続けている筒井安彦です。
2016年7月26日の未明に起きた障害者福祉施設「津久井やまゆり園殺傷事件」は私たち障害者を含む世の中に対して重大な「挑戦」だったことは疑う余地のない事実だったと思っています。
そして植松死刑囚が同期とした「障害者は生きていても生産性がない」という供述は懸命に生きる障害者一人ひとりにどのような答えを残したのでしょう。
少なくとも私自身は「今の自分は世の中に対して生産性はない。」と思ったものです。
しかし、そうしたことを発言できる状況にはないことも事実でしたのでその部分は触れずに日々を過ごしたものです。
当時私は地元コミュニティーfmで番組を担当していたこともあり、この事件を触れないわけにはいかないと感じていました。
しかも事件が起きた日は生放送の日でもあったので、集められるだけの情報を集めて夜7時からの放送に臨みました。
しかしながら30分という放送枠と番組の性質上のことを考えると、深く触れることはできませんでした。
そこで事件があった事実と今後の行方に注視する内容を話して、番組を終えました。
そして事件が残した背景や感情は今でも深く私たちの心に大きな傷を残していると思うのです。
さらにこうした事件が起きるということの意味を考えた時それは植松死刑囚周辺の問題ではないということを強く思うのです。
私たちの身近で起きる事件は少なくとも「いつ?どのような?状況で?」「私たちが加害者?」になる可能性を秘めているし、被害者になる可能性も秘めていると思うのです。
そして社会全体でこうしたことが起きぬように考えてい苦必要性があると考えます。
私は間も無く福祉施設での生活を終え、地域移行し、一人暮らしを始めますが、課題になることは「自分の身は自分で守る」ということです。
バリアフリーという言葉が当たり前になっていますが、ソフトめんのバリアフリーが進まなければ、本当の意味での「差別のない社会」歯形成されないことでしょう。
今日が特別じゃなく日々の生活で誰かに寄り添うことが今後の社会形成に大きな意味を持ってくるのかもしれません。

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