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父の8月6日

私は焦っている。赤字ローカル線のひとつ、芸備線の存続問題のニュースを耳にしてからは、この気持ちが一層強くなっている。
 それは一昨年、父が初めて口にした、昭和20年8月6日の自身に起きた話に始まる。16歳の父は陸軍経理学校受験のため列車で岡山から広島へ。そして早朝、広島駅から北西の小学校に向かった。試験開始までの時間を、日差しを避けるため校舎に挟まれた日陰の校庭で整列して待っていた。一瞬、瓦やガラス片があたりに散らばった。引率人の指示で岡山に戻るべく、広島駅ではなく北へとにかく歩いた。芸備線のとある駅から列車に乗り込み、やっと新見駅まで辿り着いた。そこで夜を明かし、翌日、列車を乗り継ぎ県南の自宅に帰ることができた。身体の弱かった父は、そのまま幾日か眠り続けたそうだ。
 芸備線に助けられ、命が繋がれ、今の私があると思うと、あの日、父を岡山まで連れ帰ってくれた芸備線に感謝しかない。そして、他にも多くの傷ついた人々を運んだに違いない。その存続問題に心が痛む。
 あの夏の日、父が見た沿線を私も辿ってみたいと思った。あの日の父に景色を眺める、余裕は到底なかっただろうが。

朝日新聞「声」掲載 投稿文のまま

#戦争 #芸備線

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