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YouTubeでまたモブになった

youtubeのショート動画を最近良く見ている。無限に時間が潰せるのがいい。延々上方向にスワイプしてるといろいろな動画が出てくる。ゲームの実況とか知らないyoutuberの切り抜きとか筋トレのやつとか柔道部のやつとか体操部のやつとか。
特に体操部のやつがとてもいい。男性二人、女性一人でいつも動画を取ってて、この人たちはみんな体操選手としては輝かしいキャリアを持っており、年齢は二十歳前半くらいの人たちである。特に女性が可愛く、背が小さくて声というか話し方がちょっとあざとかわいく、そこがいい。気付くとその人達の動画を頻繁に見るようになっていた。あと俺は身体が柔らかい人に対してフェチを感じるので、きれいな開脚を見て少し興奮したりもしていた。

動画を見ていると段々と「同じクラスの運動部の女の子」を見ているような気持ちになってきた。当然話しかけたりはできないので横目でちらちら見るあの距離感。思うだけなら王様なのに、見つめていれば恋人なのにという歌詞が頭をよぎる。

ふと動画のコメント欄を除くと、どうやら出演している男性と恋仲であるらしいということがわかった(もちろん噂ですが)。うわー、この感覚懐かしい。高校のときにも運動部の女の子をかわいいなぁと思ってチラチラ見てたら、その子は運動部のエースのかっこよくて自信溢れる男と付き合ってて、運動部へのコンプレックスを凄く感じた記憶がある。運動部へのコンプレックスというか、当たり前のように帰宅部で、帰ってシコることしかしてないし、女の子に積極的に話しかけることもできない俺が選ばれるわけないよな、という納得感しかないコンプレックス。

女性へのリアリティ
高校生の時に、そこまで仲の良くない運動部の友達に「〇〇(運動部の長身の女子)ってマジで可愛いと思うんだよな〜」みたいな話をされたので「かわいいよね。背高いと締まりもいいらしいしな」って言ったら「黙れ」って言われた記憶が蘇った。あとから知ったがその運動部の男女は付き合う直前だったらしい(そしてその後付き合った)。

女の子への距離感がその友達と俺で全く違った。友達からしたらその女の子は「付き合う直前の、血の通った一人の人間」で、俺からしたら「性的に眼差すだけの血の通ってない客体」だったから起きたディスコミュニケーションだった。

人との関わりを積極的に持とうともせず、遠くから女の子をチラチラと見て性的に眼差すだけの俺と、女の子と一人の人間として向き合うソイツと、もうどうしょうもないくらいの隔たりを感じた。俺は成長し、背の高い女性は締まりがいいらしいねなんてことを、さほど親しくもない間柄では言わないような社会性を獲得した。

YouTubeの体操選手たちの動画で、高校時代に抱いていたあのモブ感をまた感じられるとは思わなかった。もしその選手たちが本当に付き合っているのだとしたら、彼らに幸あらんと思う。俺は遠くからチラチラ見てます。(最悪)


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