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文学サークル"お茶代"の2023年3月の「ジッケン課題」「明日が春がきたら君に会いにいこう」

この文章は 文学サークル"お茶代"の2023年3月の「ジッケン課題」のためのものです。

明日春がきたら君に会いにこう。

3月のあたまの今日は風は冷たいが、晴れた日には日差しが気持ちいい。
春はまだか。少し芽吹きはじめる。俺の頭もかすかな陽気のせいで、なにかことを起こしそうだ。ことを起こす前に自分をコントロールしなければ。

新しいことを始めたい。自分を変えたい。春は冷えびえとした冬を、新規まき直し、やり直すことができる。
まき直しは「蒔き直し」であって「巻き直し」ではない。語源は「蒔いた種がでないから、改めて蒔いてみる」だそうだ。
なんとなく春にお似合いの言葉だが、蒔き方もやり方によっては、成功と失敗の分かれ道だ。陽気で頭がやられるか、自制心で自分を保つか、まさにそれに掛かっている訳だ。

「冬来りなば、春遠からじ」、英国の詩人、パーシー・ビッシュ・シェリーの言葉である。
彼は英国の因襲に抗し、詩人という、社会におけるマージナルな存在、つまり人間社会の中にあってその外部を志向する、境界人であった。ちなみに伴侶は「フランケンシュタイン」を書いた女流作家、メアリー・シェリーだ。

また、鎌倉時代の仏教者、日蓮は「法華経の人は冬の如し、ただ春の来るのを待つのみ」という言葉を残している。
疫病と政治腐敗と外寇の混迷の時代に、法華経を最高の経典と信じるあまりに、他宗を、執権政治を苛烈に批判し、何度も命の危険にさらされた。

彼らは彼らの理想と正義を求めて、苦難と波乱の一生を送り、歴史に名を残した。
むしろ、彼らは理想と正義のために、喜んで身を危険に晒していたのかもしれない。
彼らにとって、成功とは、失敗とは一体なんなんだろうか。それはきっと、自分自身の信念を揺るがせないこと、決して捨てないことだろう。

「春が来たら、きっと何かいいことが起こるよ。」なんて呑気なことを言ってたら、陽気で頭がやられてしまう。
今年の冬は、偏西風が蛇行し、例年まれに見る寒波に襲われた。疫病も戦争も終わる気配は、あまり見えない。

そんな時代に自分を見失わないように、明日春が来る前に君に会いに行こう。

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