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2020年12月17日 2000年も前に追われた土地に戻るってどういうこと?その2

はじめに

悠久の国で生まれ育った私の様な日本人にはちょっと理解しがたい、現代イスラエル国家の建国についてを私なりに考えてみました。

前回からの続きです。

最初から完全を目指さないイスラエル

それにしても、「当事者であるパレスチナ人の意見も聞かず、勝手に国を作るなんて許せない」とおっしゃる向きもあると思うし、私もそう思います。けれどそれはイスラエルとて同じ事。国連決議の多数決に「イスラエル」という票はありません。そして、実際にこんな土地にイスラエルなんて国を作ってもユダヤ人はまたすぐに絶滅に追い込まれてしまうと、この国連決議に反対を唱えているユダヤ人たちも一定数はいたし、国境線やその他の条件だって全員がこれで賛成、最善の案だと思っていたわけではありません。
どちらにしろ、辛くもこの分割決議は承認されました。イスラエルはこの国連決議を尊重し、国境なども、この宣言に従って建国を宣言したのでした。

この辺の政治的判断は現在のイスラエルにも通じるものがあるのでは、と思う時があります。とにかくイスラエル人は「完璧」を最初から求めない。時は常に流れていて、どんな状態も決して永遠ではない。方向さえ間違っていなければそれを承諾し、時代の動きや条件の変化などをみつつチャンスを作り出してとらえるというやり方。とにかく時間的な指標が長いのです。
慎重派日本人の私に言わせれば、イスラエル人は条件の整っていない危ない橋も結構思い切って渡ってしまうような印象もありますが、見方を変えればこれは、できることから一歩ずつやっていくという、「ちりも積もれば…」的な努力派のやり方でもあるのです。


この後、周辺アラブ諸国から四面楚歌の攻撃を受けつつも、結局はまさかの勝利で領土を広げていくこととなった歴史はまた、建国以降の話なので今回は触れませんが、歴史の振り返りの最後に、「パレスチナ人」について一言。


私の最大の疑問は「パレスチナ人」とは誰なのかということ。歴史上「パレスチナ」という国がこの地域に存在したことはなく、聖書に登場する「ペリシテ人」との関係はないけれど、現在では他の「アラブ人」とは区別された呼称を持つ「パレスチナ人」という集団。これは、民族的な呼称でも、宗教上の呼称でもありません。私には、「国」の概念が現代西洋と異なるこの中東地域にあって、「アラブ(+ペルシャ)社会システム」と「欧米現代国家システム」の両方にいいように使われ翻弄されている部分も多くあるのではと思っています。

2000年は長いのか短いのか

話は入り組んできましたが、こうやって史実を紐解いていくと、「2000年前の約束の地だから」というのはメインの理由ではなく、後付けの様なものかなあという気もしてきますが、それでも、ユダヤの歴史をそらんじることのできるイスラエル人の多いことには、本当に驚かされます。
すでに様々な侵略や戦争により残り少なくなっていたユダヤ人は、西暦大体100年頃にローマ軍によって完全に壊滅させられ、国土を持たないユダヤ人の離散と流浪の歴史はスタートします。国歌でも「エルサレムにあるシオンの国で、自由の民になるという2000年にわたる希望はまだ絶えない」と歌われています。(日本の国歌と対照的ですね。日本の国歌は永遠にあるものに想いを馳せ、イスラエルの国歌はいつまでもなかったものに想いを馳せる。)
その2000年の間に国土を持たないユダヤ人に何が起きたのか。ユダヤ人は本当にそれをよく覚えている。
何しろ、ユダヤ教のお祭りのほとんどが、紀元前の出来事を祝ったり記念したり悲しんだりするものなのです。現代でも1週間も続く大きな祭りの一つは、紀元前13世紀頃の出来事を再現し、その史実に基づいて食べて良いものいけないものが決まっていて、それが毎年毎年、くる年もくる年も、どの家族でも受け継がれているわけです。出身地域によって儀式に多少の違いはあれど、大筋では一緒。ということは本当に長い間、離散する前からこの儀式を繰り返して、離散してからも外国の土地で脈々と受け継いできたということなのでしょう。そういう人たちの感覚からすれば、2000年というのは比較的最近のことなのでしょうか?

「ユダヤ教目線で見れば、キリスト教もイスラム教も、最近興った新興宗教みたいなものよ。イエス・キリストなんて、ただのユダヤ人よ。まさか自分をもとにしたこんな一大宗教が興されているなんて、本人は露ほどもあずかり知らないでしょうね。イスラム教?ユダヤ教を元に工夫を加えた新興宗教みたいなものよ。
それにしてもこの「宗教」の広がりには賞賛に値するものがあるわ。「神」の名を商標登録、特許申請しなかったのは大きな間違いだったわね。これはすごいスタートアップよ。」
などと平気でいう友人がいますが、これはユダヤ人である彼女特有のブラック・ジョークなのか、彼女は本気なのか。
まあ、中華料理だって「4千年の味」とかいうくらいなのですから、3~4千年の歴史というのは、人類にとって神話と現実の境目のギリギリ「現実側」、現代社会へと受け継ぐことが可能な期間なのかもしれません。
日本の歴史を全然知らず、日本の祝祭日の伝統的な祝い方やそのオリジナルな日付(西暦でない)すらまったく知らない私。「こんな私にとって、私が日本人であることの意味は?」と考えたくなってしまいますが、今は無視します。

自出を大切にするユダヤ人

このように、離散して国土を持たなかったからこそルーツを大切にしてきたユダヤ人。2000年も前に追い出された土地に戻ってきて国をつくった人々という例は、私はユダヤ人以外に知らないのですが、自分の国を持たないからこそアイデンティティを維持するために伝統を大切にしたという一面もあるのだろうと思います。
今でも、イスラエルの中学一年生の子供たちに与えられる課題に自分の起源を知るというものがあります。これはどの学校でも課題として出され、子供たちは半年近くかけてこの課題をこなします。両親の出生を調べ、そのまた両親そのまた両親…と辿っていき、自分の家族がどこで生まれ、どんな人生を送り、どのタイミングで迫害され、どうやって生き延びてきたのか、もしくは命を落としたのか?自分はどうやってイスラエルという国で生を受けたのかを調べてそれをまとめ上げるのです。
同時にこの時期、ユダヤ教では女の子は12歳、男の子は13歳で成人です。成人のお祝いとして自分の家族のルーツである国を訪ねることもポピュラーです。自意識が芽生えるこの思春期の始まりに、「自分とは何者か」、「自分がどれだけの命の上に生まれてきたものなのか」を徹底的に教え込むのです。
また、家族に代々受け継がれるものをクラスのみんなの前で披露する、という課題もあります。(これは一部の学校だけらしいですが。)家庭料理のレシピであったり、「そんなもの博物館に置いておいた方がよいのでは?」というような歴史的な品であったり…。重要なのはその裏にある家族の物語を子供たちに語らせること。
そういうバックグラウンドのない私には、おばあちゃんのおばあちゃんのそのまた…から受け継がれてきた「家族の長女が結婚する時に受けとる指輪」(しかし私のおばあちゃんはユダヤ人迫害にあったので結婚する前にこれを受け取り口の中に隠して逃げてきた、結婚する時は私もこれを受け取るのだろう…という壮大なストーリー付き)というような品が次から次へと繰り出される発表会に同席して、この民族は絶対に滅びないだろうなと確信したものです。
こういった古い歴史を現代のテクノロジーに落とし込むのも、ユダヤ人の得意とすることろです。例えば、家系図を作るサイト。自分の姓名と、親戚一同の名前を入れて、家系図を作っていくウェブサイトがあります。このサイトに自分の家族の生年月日や家族構成などを入れて家系図を作ります。親戚で情報を入力している人がいれば、その人につながっていくことができるのです。
私の娘はこのサイトで家系図を作ったのですが、父方のおじさんの奥さんの親戚の親戚まで家系図をつなげることに成功していました。
古い写真をきれいに加工したり、DNA検査サービスがあったり。世界各国の国勢調査、兵役記録、移民登録、有権者リスト、などという公文書のデータも取り込んでいるようで、古いものでは1400年代後半の記録などもあり、人名の検索も可能な様です。
不完全ではありますが、日本語版もありますので興味のある方はこちらから覗いてみてください。

おわりに

話は長くなりましたが、ユダヤ人の時間軸は本当に長い。やっぱり2000年も前のことでも覚えていて、この地に戻ってきた…という風にまとめてしまいたいところでもありますが、それだけではなく、必然も偶然も含めて様々な、本当に様々な要因が重なり合って、こういうびっくりな建国を成し遂げてしまったのだと思います。
問題ももちろん山積みですが、問題を持たない国というのは天国くらいなものではないでしょうか。そういう意味では、イスラエルも、世界にあるどんなほかの国とも大きな違いはないような気もします。


あ、ちなみに、聖書に書いてある寓話的な話を皆が信じているのかについて。
一応、旧約聖書はイスラエル人の歴史の書ですので、普通の小学校でもアダムとイブも学びます。でも、それが歴史として本当であると信じているのは、ほんのひとつまみの狂信的な信者のみでしょう。多くの人はそれは科学とはまた別の次元の話であると思っています。
海がふたつに割れる話、ユダヤ人がエジプトから逃げ出す話は史実なのですが、海が映画のように真っ二つに割れたかどうかは…大方の人は、何かちょっとした自然現象があったのを物語にして大げさにしている、という風に、全体の出来事としては信じているが表現方法や詳細は信じないという立場ではないでしょうか?
処女が神の子を身ごもったことに関しては…ユダヤ人はこれを全く信じていません。そもそもこれは新約聖書の話。ユダヤ人にとっては新約聖書は聖典ではなく、新約聖書での出来事はユダヤ教とは関係がないのでした。

以上、現場からお伝えしました♡

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