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イスラエルと「世界大会」

現在、日本で世界柔道選手権大会2019年が開催されていますが、先日、81㎏級の金メダリストにイスラエル人のサギ・ムキ選手が輝きました!
おめでとうございま~す!

さて、イスラエルは国としては若く、人口も飛びぬけて多い国ではないのでスポーツの分野での活躍はそれほど目立ってはいません。(とは言え、人口が飛びぬけて多くなるようなことがあっても、スポーツの分野でとびぬけた成績を出せるかどうかはまた別の話なのですが。)

そんなイスラエルでも、人気のスポーツや流行のスポーツがあります。一番人気なのはサッカーですが、こちらはあまり実力がついていっていないようで、世界大会などにはイスラエルチームは出場していません。意外なのは柔道の人気で、こちらはポピュラーであるだけでなく、それなりの成績を収めてもいるのです。

イスラエルのオリンピックメダル総数は9個ですが、そのうちの5個が畳の上、つまり柔道の試合で獲得しています。(残りの4つはセーリングやカヌーなど水の中での獲得です。)どんな小さな町にも子供たちの柔道チームがあり、イスラエルの初オリンピックメダルが女子柔道だったということも影響しているのか、女の子たちが柔道クラブに通うのも、それほど珍しいことではありません。

こういう状況を見ていると、「スポーツにも向き不向きがあるのかも、イスラエル人に柔道はなじみやすいのかも」と思うのです。柔道は完全なる個人競技。柔道着と帯一本で素手で相手に立ち向かいます。チームメイトとの連係プレイもなく、畳の上で頼りになるのは自分のみ。そう考えるとやはり、柔道はイスラエル人に向いているのかもしれません。

さて、柔道国際試合でイスラエル人の試合を見ていると、「握手拒否問題」もしくは「イスラエルボイコット問題」に時々出くわします。「イスラエル選手が出るなら棄権する」もしくは試合が終わっても握手をしないで逃げる。イスラエルの選手に対してはこういったことが時々行われているのです。

https://www.sport5.co.il/…/Articles/Article.4169.322788.html
https://www.afpbb.com/articles/-/3097379

もちろん握手は柔道の試合に必須の行動ではありません。握手をしなかったからといって公的な罰則を受けるわけでもないです。そして握手はしないけれど審判の方を向いて一応礼はする、という選手もいます。けれど、「礼に始まり礼に終わる」と言われる柔道。この場合の「礼」はお辞儀を形だけすればいいということではありません。相手に対する「礼」の気持ちのことを言っているのだと思うのです。そうであれば、例えお辞儀はしたとはいえ、このような礼に欠ける行動をとる選手を見ていると、とても嫌な気持ちになります。負けて当然、という気持ちになるのです。

私が驚くのは世界がこれを黙って見ていることなのですが、実はもっと驚くのはイスラエルがこういったことに対して慣れてしまっていることです。もちろん今回の世界選手権の握手拒否に対しても一応、首相が一言何か言ってはいましたが、国民感情的には大して動じてもいない。まあ、特に今回は初の世界チャンピオンの座ということで喜びもひとしおなのでそんなことに構っていられない…というのが実情なのかもしれませんが、もし、万が一、日本選手と近隣諸国との間の試合でこんなことが起きてしまったら…と想像すると、私だったらこれでもか!とばかりにブーイングしてしまうかもしれないと思うのです。イスラエル選手に対する握手拒否も、周りのイスラエル人よりも私の方がよっぽど怒っているような有様です。

しかしながら、イスラエル人がこういうことに慣れてしまっているのには理由があります。はっきり言うと、イスラエルという国は世界でも屈指の「嫌われ者」で、日本人にはあまりなじみのない「ユダヤ人差別」が、実は世界中ではまだ普通にはびこっているからなのです。
世界には「ユダヤ人である」というだけで法的に罰せられる国があります。その国の宗教法に照らし合わせればユダヤ人であることの罰は死刑というふうにも考えられるのです。そういう宗教が治めている国に、間違えてユダヤ人が入ってしまったら殺されても文句は言えない、その国家が採用している宗教は、ユダヤ人を殺すことを正しいこととして認めている、というふうに理解することもできるのです。
この「ユダヤ人」を「日本人」に置き換えてみてください。これを人種差別と言わずして、なんというのだろうと思うのですが、世界はそれについては何の批判も文句も言いません。ユダヤ人は「世界とはそういうもの、ユダヤ人が殺されても誰も文句は言わないもの」、そう思って現在まで生きているのです。

先日、日本のニュースで日韓関係悪化の影響を受けて、ある高校のスポーツチームが韓国へ遠征試合に出かける際に、ユニフォームに国旗をつけないという配慮をしたという記事を読みました。日本にとってはこういうことはとても珍しいことだとは思いますが、イスラエルでは外国に行く際にその国が「イスラエル人にとって」どのくらい安全なのかというのは、非常に重要なマターです。

2017年にアブダビで行われた柔道国際大会の参加条件は、「イスラエル」という国名をどこにも出さない、というものでした。イスラエルのタル・フリッカー選手(66㎏級)が優勝したこの大会では、表彰式の際、国歌の演奏もなければ国旗の掲揚もなく、その代わりに国際柔道連盟の旗と歌が使われました。国交のない国同士なのである意味当たり前ではあるのですが、イスラエルのスポーツ選手はこれほどまでに政治に振り回されているのです。(2018年の同大会ではサギ・ムキ選手が優勝し、この際はイスラエルの国旗が掲揚され、イスラエル国歌が演奏されました。)

古く1972年のミュンヘンオリンピックでは、パレスチナ系のテロリストに11人のイスラエル人選手団全員が選手村で殺されるという事件も起きており、国を代表する一流スポーツ選手が全員殺されてしまうという惨事に襲われる国は、世界広しといえどのくらいあるのだろうかと考えてしまいます。

こういう歴史と環境があるため、スポーツに限らず「イスラエル代表」達には、国がある一定の教育を施しています。私はある中学生チームがロボットコンクールの世界大会に出場する際に、イスラエル代表として外国に行く生徒たちが受けなければならない、教育庁のプログラムを見学する機会に恵まれたことがありました。
このプログラムは教育庁のナレッジサイトでイスラエルについての基本的な事項を学び簡単なテストを受けることと、安全管理の担当者から外国での行動について注意事項と具体的な行動についての講習を受けるという、二本立てでできていました。

どちらの内容も私には驚くものばかりで、学生時代も成人してからも「日本代表」になったことのない私には知り得ないことなのですが、こういうことは日本でも行われるのだろうかと興味深く思ったのです。(誰かご存知の方がいたら教えてください。)

まず、ナレッジサイトの方はイスラエルの歴史から発展の様子までを事細かに教え込み、一人一人を立派な大使に育て上げることを目標にしています。
そして驚いたのが安全管理の講習です。「公共の場でヘブライ語を大きな声で話さない、イスラエル国旗を目立つところに身につけない…」とにかく「イスラエル人だと分かれば何をされるかわからないから、イスラエル色はできるだけ消すように。」これが第一の教えでした。次なる教えは、コンクールでも何でも、イスラエルチーム出場の際はブーイングが起こるので、動揺せずに力を出し切るようにと教え込み、家族に対してもブーイングには動じないように伝える念の入れよう。そして、政治的な話にはどんなものであれ絶対に参加しないこと、それから各国の選手団同士仲良くするのは良いことだが、相手国をよく見て、必要以上に深入りしたりどこかについて行ったりしないこと…などなど、多感な年ごろである中学生からこういうことを学ぶのかと、衝撃を受けたものです。

この中学生グループは、やはりレバノンのグループに握手無視をされる体験をしていましたが、「レバノン第2チームの時は審判たちがじっとこちらを見ていたのでしぶしぶ握手をしてきた」と、笑い話にしていました。
ユダヤ人中学生のしたたかさを目の当たりにしたと同時に、レバノン選手の中学生たちの心境を考えずにいられない出来事でした。

もちろん、握手をしないと決めた選手も国を背負っていることもあり、自分の意志だけではどうにもならないこともあるのだろうとは思います。
ユダヤ人のスパイという疑いをかけられたくない、売国奴と思われたくない…いろいろな理由はあるとは思うのですが、スポーツの世界くらいは国家同士の政治を切り離して考えてほしいものだと思っています。

それにしても、握手拒否をされたとしても勝った側ならカッコ良くて、握手を拒否した負け側がみじめに見えるのですが、それは日本人の感覚というものでしょう。
負けたら握手をしないことがヒーローである、という価値観の文化もあるものだと思うと、そういうことにいちいち構っていないイスラエル国民は、合理的で正しいのかもしれません。
それでも私は、今回の世界選手権の決勝戦でサギ・ムキ選手に負けてしまったベルギーのマティアス・カス選手、試合直後に二人がお互いに敬意を示しあったシーンにとても感動しました。単純ですけれど、心が洗われました。

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