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【読書記録1】中学生だった42年前に買った「漂流」(吉村昭=新潮文庫)

二十代の頃に携わった仕事を振り返る必要が生じ、当時の手帳や資料を探した。本棚の奥を掘り起こしていると、一冊の文庫本が目に入った。表紙は黄ばみ、スピン(紐状の栞)が引っかかってしまったため破れ落ちそうになっていた。

「漂流」(吉村昭=新潮文庫)

私が中学1年の時……1982年(昭和57年)に買ったものである。巻末を見ると「昭和五十六年三月五日 五刷」と書いてあるので記憶に大きな誤差はないと思う。

定期試験が終わった直後でひと息ついた時期、国語の先生が授業中に「本はたくさん読んだ方がいい。最近、先生が読んだ本を紹介しよう」と言って、あらすじを語り出した。

江戸時代、船で漁に出て嵐に遭い「鳥島」に漂着した長平は、季節に渡ってくるアホウドリを食べながら生き延びていく。ともに漂流した仲間が亡くなり、また新たな漂着者と暮らしながら、故郷へ帰る日を夢見続ける。

先生が印象に残った場面をいくつか朗読してくれたが、限られた授業時間内では中途半端である。私は続きや詳細が気になって、書店へ買いに行った。

当時の私はバレーボール部に所属していたのだが、熱血顧問が「日本一を目指す」と目標を掲げ、休みは元日しかないという部だった。練習が終わる頃に書店は閉まっているから、たまにある早帰りの日を待って買いに行った覚えがある。

本編が始まる前の序章には、著者の漂流者に対する興味とともに、終戦後の「アナタハン島からの帰還者」というエピソードが紹介されている。アナタハン島に身を潜めていた計31名の中に1人の女性がいて、その女性を巡って殺人が相次いだという実話である。

中学生には衝撃的な話で、長平を主人公とした本編が始まる前から引き込まれていった。最初の読後にどんな感想を抱いたかは覚えていない。しかし、それから今年でちょうど40年になるが、何度もの引っ越しや書籍整理をくぐり抜けて、いまだ本棚に残っている。

本を読む習慣がついた、最初のきっかけだったように思う。

読書を語る、もう一つの転機は社会人になった直後にある。

先輩と居酒屋でビールを飲みながら、夏休みの過ごし方について話していた。先輩は奥さんの実家に帰省するという。

「毎年帰省に付き合う代わり、現地では自由に過ごしていい約束になっている。本を10冊ぐらい持っていって、何もせずにゴロゴロしながら読書して過ごす。それが楽しみなんだ」

先輩はそう言って、生ビールのジョッキを取り上げた。

「オレは本屋で気になった本があったら迷わずに買うことにしているんだ。本は安いもので、金額的にいうと生ビール1杯か2杯分ぐらい。迷うほどの金額じゃない。手元にあれば、すぐに読めなくても、いつか読むチャンスがある。半分だけしか読めなくても、それだけで得るものもある。買っておかないと、チャンスを逃すような気がするから」

社会人になって飲み歩く習慣がつき、毎晩のように散財していた私は「なるほど」と思い、それからは書店で興味を持った本は買っておき、完読できずに断念しても意に介さぬことにした。本との出会いは一期一会。そう考えるようになった。

それから何冊もの本を読み、自分でも出版する機会にも恵まれた。

しかし、ここ数年あまり本を読まないようになった。最大の原因は「老眼」である。老眼鏡やルーペなくては読めぬようになり、疲労を感じるのも早い。時間をつぶす喫茶店などでは照明が暗すぎると思うようにもなった。

さらに動画配信サービスの充実も理由に挙げられる。月に数百円の契約料でスマートフォンやタブレットで気軽に映画やドラマを視聴できる気楽さが、本との距離を広げていった。

本棚の奥にあった「漂流」を手にして、最近の伸び悩む自分を顧みて、またあの頃のように‥部活の合間に書店へ走っていた頃のように本を読みたいと思う。


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