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終わりが見えてしまった

大好きな友達の恋を応援していた。好きな人の好きな所を肴にしてドリンクバーだけで飲み明かした夜もあった。

大好きだからこそ上手くいってほしいと願っていたし、上手くいくべきであり、無宗教ながら方々の神々がそうしてくれるはずだと信じていた。

だのに、そんな恋路に暗い光が射し込んでいると聞かされたとき、私は一気に第三者になってしまった。恋の話に花を咲かせているとき、私もこの恋と全力で向き合っていたはずだった。日々の報告に一喜一憂し、それはそれは当事者然としていた。

結局私は他人だったようだ。

TOHOシネマズ新宿で映画を見てヨーロッパの街並みに気持ちを飛ばし映画の波に浸っていたのに、エスカレーターを降りるとそこは歌舞伎町、ギラギラガヤガヤのネオン街。雲の上で寝転んで虹のアーチをくぐって夢見心地の夢から無理やり引き剥がす目覚まし時計。

それくらいガクッと線引きがなされてしまった。何故この瞬間に。一緒に落ち込んだりなにくそと言い合ったりしたかった。それはやろうと思えばできるけれど、もう前のように熱をはらむことができないことになってしまった。

大好きなあの子と私は別物だとわけもなく実感していたとき、私の恋にも終わりが見えた。

でも私は私だから、この事実と向き合わなければならない。あの子の恋と同様に第三者にはなれない。徹底的に失恋してやろうか、はたまたそうしないかの二択で思案中。

なにかに取り組むとき、終わりが見えないと思うことはたびたびあるけれど、いきなりあらわれる終わりほど切ないものはない。


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