ハイキュー!!みて共感とリアリティについて考えた
きのうに引き続き「ハイキュー!!」を追っかけてるんだけど、シーズン4まで来たので映画までもう少し。
なんとか映画館で観たい。
烏野と音駒のゴミ捨て場の決戦を。
なんでそんなにハマっているんだ、と自分でも思うんだけど「一生懸命な人」ってやっぱ応援したくならない?
私の場合、なにか作品に触れて「面白いなあ!」と感じるのは、人物を応援したくなったり、共感できる部分が大きいとき。
例えば「ハイキュー!!」であれば主人公、日向(ひなた)。
バレー部なのに「人より小さい」というどうしようもないハンデを抱えながらも、大きさ以外の武器を磨いて自分より遥かに大きな選手に立ち向かっていく姿に気づけば夢中になっている。
少年漫画の主人公が少しおバカで底抜けに明るいのはお約束な気もするが、わかっていても応援したくなる。
キャラクターのパワーがすごい。
主役だけじゃない。
ライバルも、仲間も物語のメインになるような登場人物から、試合にスタメンで出ていない控えの選手にまできちんと物語がある。
なぜバレーを始めたのか。
なぜそのプレイスタイルにこだわるのか。
今この瞬間に至るまで、どんな人生を歩んできたのか。
一人一人が生きているのを感じる。
試合のリアリティも。
控えの選手が大事な場面でサーブを任されて、ゲ◯吐きそうなくらい感じるプレッシャー。
慣れない会場でライトに目が眩む。
なかなかブレイクできずに感じる焼けるような焦燥感。
共感ってリアリティから生まれるのかも。
リアリティがなくては自分の経験と重ね合わせづらいので、そもそも共感ができない。
リアリティといっても私がここでいうリアリティはプレイそのものではなくて、物事が起こったあとの登場人物の心の機微のことだ。
もちろん私はネットからはみ出るほど高く飛ぶことはできないし、直角にアタックを打ち下ろすこともできない。
でも何か起こったときに、この人物ならこういうだろうな、とかこんな行動をとるだろうな、と想像はできる。
または「あ〜! こういう気持ちになったことある〜!!」と激しく同意することも。
物語に入り込んで、思いっきり共感するためには人物の言動に整合性が取れている必要がある。
どんなにいい感じの人物が登場しても「その場面でそんなことしない(言わない)だろう」と思ったらもう共感できない。
別に普段イヤなヤツがいいこと言ったっていい。その一言に説得力を持たせられるなにかを見せられるなら。
よく性格の悪いライバル選手が出てきて、最初は「キーッ!!」って思っていたのが物語終盤になるとなんか憎めないヤツに見えてしまうことがある。
これはそこまでの間に、キャラクターにしっかり説得力を持たせられたからだと思う。
それに、ライバルがしっかりキャラ立ちしていると物語が圧倒的に面白くなる。
「ハイキュー!!」はキャラクターも物語の流れもとてもよくできているなぁと感動してしまった。
やっと終わりが見えてきたので、そろそろ映画館の上映時刻をチェックしようかな。
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