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ヤマタノオロチと古代出雲

【月刊ムー】4月号で読んだ『八岐大蛇と出雲神話の謎』がとても面白かったので、思ったことを綴ろうと久々に更新します。

今回読んだ記事の内容を結論から言うと、「ヤマタノオロチ伝説は出雲国ではなく、お隣り鳥取県の伯耆国での出来事だった」という内容。

現存している各国風土記の中でほぼ完璧な状態で残っている【出雲国風土記】に当然あるはずのヤマタノオロチ伝説の記載が一切ないのに対して、【伯耆国風土記】は一部分しか残っていないものの、きちんと記載があったらしい!! ※詳細は【月刊ムー 4月号】で!


なるほどね~というのが最初の感想。

これはあくまでも個人的な考察なんだけれど、先の記事で西風先生がお書きになっていたようにヤマタノオロチの舞台が伯耆国だったとして、「最初は伯耆国も古代出雲国だったのでは」と私は思う。妻木晩田遺跡ほどの大規模な遺跡が今のところ出雲地方からは発見されていないし、古代出雲の政治的中心地『意宇』は松江市なので、伯耆国まで支配していたとしてもなんら不思議ではない。昔から霊山として山岳信仰の対象となった大山もあるし。

そう考えたら本当に面白い!!

私は現在出雲市民だけれど、幼少期はヤマタノオロチ伝説の舞台となった雲南市で育ち、もちろん斐伊川もすぐ近くにあって、卒業した小学校も『斐伊小学校』という名称(笑) そんな神話・伝説の地で育ったので、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、その8つの頭を埋めその上に杉を植えたとされる『八本杉』も遊びにも行くし、なんなら授業でも行くし日常的にすぐ近くにあった。今は新しい家々が真横に並んでいるせいか「あれ?こんなんだったっけ?」と思ったぐらいだったが、幼かった当時はもう少し重厚感があったというか、陽の光があまり届かず、すごく冷たく重たい空気が流れていて、正直あんまり行きたくない場所だった。(スピリチュアル的にも) 友達と遊んだ後の帰路は仕方なく通るけれど、夕方は逢魔が時でもあるし、なるべく早足でサクサク歩いていたか自転車立ち漕ぎでギャンギャン飛ばして通過していた記憶がある(笑)

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2022年4月撮影


そうやって当たり前に神話・伝説と共に育ってきて、それを信じて疑わなかったけれど、大人になった今「ヤマタノオロチ伝説の原郷が伯耆国だった」という説を知り、ものすごくワクワクしている。どちらかが正しいのか分からないし、どちらも正解かもしれないし。それは誰にも分からない。

だから歴史は面白い♪

それが浪漫♪


また近いうちに時間を作って伯耆国へ散策に行ってみようと思う!!


♡月刊ムーと西風隆介先生に感謝♡



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