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今年読んだ本三選 三選目

今年読んだ本三選-その③-

※その①その➁は前の記事となります!※

その前にご挨拶を。


新年明けましておめでとうございます。
実は12月の半ばより大幅に体調を崩しまして……もっと早くに仕上がる予定が現在となってしまいました。タイトルの「今年読んだ本」の今年はもう終わったやん……と思いながら、更新しております。大幅に遅れが出てしまった事、申し訳ないです😢

ここから本題の三選目!


今年(2023)読んだ本、というタイトルで三選をお送りしているので、刊行されて間もない書籍を紹介するべきなんでしょうが、なんせ!積読の量が多い多いのです!!恐ろしい数あります。。

そんなわけで、刊行自体はとても古いのですが、私が2023にやっと読めた本も含みます。栄えある最終推しは……

2007年3月25日刊行された三宮麻由子さんの『そっと耳を澄ませば』を三選目に推したい!


三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』

三宮さんの本と言えば、ひとつ前の2004年に刊行された『鳥が教えてくれた空』が大きく話題になりましたが、私個人としてはこちらが好きです!

こちら、三宮さんが送られる日々のエッセイ集となるのですが……
そんじょそこらのエッセイ集ではない!
何故なら、彼女は全盲なんですよ。でも、翻訳もなさればピアノも弾かれる、文章の全てに色があり香りがあり季節がある。三宮さんはとても美しい句を詠まれる方ですが、句というのは必ず四季が必要になり、季節をさすには花の色や空の色、葉の色……と【色】が要だったりもするのですが、そのどれもが秀逸なんですねぇ。

エッセイの中で、目の見える人を彼女は晴眼者と呼ばれているのですが、自身が晴眼者であるが故に見落としてしまっている四季の美しさや見える事の素晴らしさ等、忘れ去られた感性を呼び起こしてくれる美しさが隅々にまで溢れていて、本当に本当に良い本です。この本、オールタイムベストの上位にランクイン!!

胸張って言えます。絶対、読んだ方がいい!!

目が見えないでどうやって本を書いているの?や、盲学校時代に友達と流行っていた遊び、物が発する音でその物を描いているところが本当に本当に素晴らしい。

自分が色々と書く側であるので、この物や感情をどのような音や言葉で表現すれば伝わるか/この味をどう伝えれば?/情景を描くには/等をよく考えるのですが、描いてある事の全てがしっくり来て、本当に恐ろしい表現者だな、と慄きます。私はもうプルプルしましたね!震えました。

例えば、雨は全盲者にとって周りの音の全て消してしまうので苦手だった、そんな私が雨を好きになった理由、を述べておられる部分で


"そういえば、雨や雪の粒を直にさわることはなかなかできない。もちろん、手を差し伸べれば雨そのものにさわることはできるけれど、それは雨粒ではない。雨自体は手に触れた瞬間、もう粒ではなくなってしまうからである"

三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』より

と書いていらっしゃいます。それが、傘越しに触れる事により、雨粒は丸っこいままに触れられる、だから雨の日が好きだ、と……。本当だ……慣れのある毎日とは恐ろしく、私達は色々を知った気になり、とても勿体ない日々を過ごしているのかもしれませんね。都会で暮らしていると自然が恋しくなったりもしますし、巷でよく聞く『自分探しの旅』に等出かけずとも、その場で知れる事は沢山あるはずなのに、どうして人間は、私は、こうなのだろう……と反省しきりで御座います。

耳のみで感じる外の世界の情景は大変に美しくうっとりしてしまう、そんな美しい世界で暮らしているのにそれにさえ気づけない、それは本当に五体満足の上に胡坐をかいた高慢さである事を教えてくれます。この世界は、こんなにも美しいのだ、と再認識。

どの文面も心震わせるものがあるのですが、私がとても、仰る通り!御尤もです!と唸ったのはこちら。

"すべての人が、いつでも弱い立場の人のことを思いやれたら世の中はどんなによくなるだろう。でも、あの乗換駅で、足については健常者の私が、目が見えないために配慮することができなかった。強そうに見える人でも、どこかに弱点を持つものである。だから、一つ一つの場面でその立場にふさわしい行動をとるしかないのでは、と考えるようになった。「今は余裕があるな」と思ったら弱者を視界に入れて思いやり、逆に自分が弱者だと思う時は相手に一方的な思いやりを要求するのではなく、自分なりの配慮を試みる。"

三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』より


三宮さんは人にぶつかって殴られた経験もある方でもあり、ご自身でも大変な思いをしておいでですが、経験上から、このような事が困るので同じように困っている人を助けたいと日々を眺めておいでです。これが人としての徳であり、質なんだろうと思います。自分が大変だから優しくされて当然!と声を荒げず、その中でも自分の出来る事と向き合っていらっしゃる。それは簡単に出来る事ではありません。読者側は、菩薩かよ!!と言いながら読む事になります。

最後の章では、子供からの質問にこのように答えられています。

質問『もし、目が見えるようになると言われたら、晴眼者に戻りたいと思いますか?』
"たしかに、目が見えたら、見てみたいものがたくさんあります。さまざまな自然の姿や大好きな鳥たち、私を育んでくださる方々のお顔。でも反対に、たとえ見えるようにはならないと宣告されたとしても、かまわない気もします。いつもいつも見えるようになりたいと思っていなければいられない人生より、見えなくて不便だけれど、これで十分幸せだって思える人生の方が、本当の意味で幸せではないかと思うんです。いかがでしょう"

三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』より

三宮さんの言葉には生きるという事に対しての覚悟と、自身を助けてくれるもの全てに対しての感謝があり、私はとても大好きです。とても美しい一冊なのでぜひ皆さんに読んで頂きたい、触れて頂きたい、と思う一冊です!!

自身の体の都合で更新が大変遅れてしまい、この度は申し訳ございませんでした。今年もどうぞ宜しくお願い致します♡


三宮麻由子『そっと耳を澄ませば』

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