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こんなケースが始まり(不登校シリーズ3)/ 石井-ツバメルーフ珈琲係

先に二人が子どもの不登校についてアップしていたので、小説風は一旦休んで、私もこの波に乗りたいと思います!
だってだって、このムーブメントの始まりは、我が息子だったのだから!

あれはツバメroofがオープンしてまだ1か月くらいの頃。私は毎日うかれてた。2年がかりで皆で作ったお店、新しい出会い、懐かしい友達まで来てくれて、暇な日でさえ楽しかった。完全にうかれてた。

そして、その頃息子は小学6年生。頭も運動もまぁ並で、友達とも特に問題なく過ごしてた。ただ、持久走だけは私に似て得意で、小学校代表で駅伝選手に選ばれていた。
私もタイムを聞いて、速いね~って言ったり、アドバイスなんてしたり、興味があったので好き勝手言っていたと思う。何の気無しに。そう、何の気無しに。もう一度言います、本当に何の気無しに。

そして毎日頑張った朝練や自主練を経ていよいよ明後日駅伝という日。頭が痛いと言い出した。一瞬焦ったが、熱もないし、一日休めば駅伝大会には間に合うだろうと思った。
ところが翌日もやっぱり頭が痛いという。
明日の駅伝は?あんなに頑張って練習してきた駅伝は?と息子の身体の心配よりも駅伝大会に出れない事が不憫に思えたと同時に、周りに迷惑かけて申し訳ないなが本音だったかもしれない。今思えば本当に酷い話し。
大会当日は起きてくる気配はないので、学校に連絡して休みますと伝えた。先生はすごく残念がってくれた。私だって残念だった。

もう駅伝大会には出ないという状況が整った昼頃、息子はみるみると回復し、ご飯をモリモリ食べた。その姿をみてあれ?と思ったのが最初の違和感だ。

その違和感を覚えてからは、起立性調節障害や、思春期の頭痛などのワードで検索しまくった。でも心のどこかで、駅伝大会が終わったのだから、もう学校に行けるだろう、プレッシャーから開放されて良かったと思っていた。(出れなくて残念だったけど)

ところがどっこい、学校に久々に行く日の朝、身体が全く動かない。布団から出てこない。駅伝が原因やと思ってたけど、そうではないことを思い知らされた。

これには担任の先生も慌てた様で、電話がかかってきたり、毎日家に来てくれたりした。
青天の霹靂とはこのことだった。何人か不登校のお母さんのブログを読んだが、だいたい「まさか我が子が不登校になるなんて!」と思うらしい。激しく同意した。そしてそんなもんかと安心もした。

そして、しんどそうな息子をみて自分を責めた。育て方に問題があった気もするが、それだけではない気もした。私の友達は大丈夫と言ってくれたけど、何が大丈夫なのかさっぱり分からなかった。
目の前の息子がしんどそうで、どうにかしたいけど手をかけようとすればする程、するりと手のひらから何かが抜けて行くそんな感覚だった。

ある日、元気ならそれでいいやと思って、学校なんてどうでもいいんやで、と伝えた。すると息子の目が変わりみるみる力がみなぎって…はこなかった。泣きながら学校行きたいと言った。私の頭はますますハテナだらけになった。

これはもうお手上げだと、ツバメroofでスタッフ二人に色々聞いてもらった。今の息子の気持ちを想像しながら。あーでもない、こーでもないと。
二人とも私の事も息子の事も否定は絶対しなかったし、本当に息子の事を思って色々考えてくれた。その言葉に何度か店で泣いた事もある。

今となっては、珠玉の言葉の数々もその時の気づきもほとんど内容は忘れてしまった(笑)のだけど、結論は、本人が楽しく生きていく事を応援する事に至ったと思う。
おかげで私は一度も学校行きやなんて、しょうもない事は言わずに済んだ。

そうこうしてる内に、姪っ子(松村の娘)が不登校のプロになった。いつの間にか息子も抜かされて、彼女は真のプロになった。本当によく物事を見てよく考えて、芯を捉えた意見を言うので、心からリスペクトしている。師匠と思ってる。

そして、そのえさん(花園)の超優秀なご子息までもが不登校になった。これは、もう不登校こそノーマルな選択肢だと言わざるを得ない。

子どもが不登校になって、今まで見えていたものが、ガラリと変わった。価値観も変わった。政治にも福祉にも興味がでた。

そして子どもは元気ならそれでいい。これが全て。(と思ってたけど、元気になったら、やっぱり色々家事とか手伝ってほしい)

あの時も今も話しを聞いたり支えてくれた方々に感謝します。

次回からはまた小説に戻ります。多分。


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