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「寂しいじゃないか」という言葉になんて返せばよかったのか、10年経っても考えてる。

かれこれ10年以上前のカナダ留学中、ナイアガラの滝をひとりで見に行った。

近くの町からでているツアーバスに揺られること2時間。
現地でバスを降りるとき、運転手のおじさんに「家族や友達はどこ? ひとりぼっち? ナイアガラの滝は、ひとりで見に行くものじゃない。寂しいじゃないか」と声をかけられた。
『そうかなぁ、ひとり旅のほうが気楽だよ』と思いながら、でへへと笑ったら、おじさんは「Have a nice trip!」と心配そうな顔で見送ってくれた。


ドコドコと地響きのような音をたてて落ちる滝は、水でできた城壁のようだった。それまで持っていた「滝=風流」というイメージをぶち壊す、野蛮で無慈悲な、地球の裂け目。

楽しそうに会話をする他の観光客をすり抜けて目前まで行くと、柵に掴まっていても、数十メートル先の水底に吸いこまれそうだった。
『大自然を見てちっぽけな自分を実感する』
よく見聞きする言葉だとしても、あの一瞬の感慨は、誰とも共有できないわたしだけのモノに思えた。

帰りは長距離バスに17時間揺られて、留学先の大学に戻った。
流れていく夜の街を眺めながら、「寂しいじゃないか」というおじさんの言葉を、何度か思いだしていた。


数ヶ月後、ナイアガラの滝に日本人留学生が落ちて亡くなったというニュースが聞こえてきた。
記念写真を撮ってもらおうと、柵にまたがってしまったらしい。
顔も知らない、自分と同年代の女の子。
友達と旅をしていた、女の子。

ひとりぼっちで滝を見にいく、寂しいわたしが生き残ってしまった。
留学中のホームシックも手伝って、そんな風に感じた。

大人になって振り返ると、見知らぬ誰かと自分の命を比べること自体が、とても傲慢だったと思う。


わたしはいまでも一人旅が好きで、旅の写真には風景しか写ってない。

やっぱり寂しいかな。寂しいかもな。
でも、誰だって最後はひとりだよ。
きっとあの滝をみたときと同じ。
ちっぽけな自分を感じながら、なにか大きな存在への畏怖と敬意を手にして、いつかこの世を去るんじゃないかな。

心のなかで、あの日のおじさんに反論してみる。
でもおじさんはきっと、それがわかってたから「ひとりで見にいくな」って、言ってくれたんだよね。


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本投稿は、noteお題企画「#旅とわたし」に参加するため、以下の過去記事をリライトしたものです。
書いてから173日経過して、すこしは成長してるかしら?


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