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バッチフラワーレメディ入門

辛い時期を乗り越えた先にあったもの

バッチフラワーレメディのセラピスト、あいです。レメディは「心の自然療法」で、約100年前にイギリス人医師、エドワードバッチ博士が作ってくださったものです。フラワーエッセンスと呼ばれたり、バッチフラワーレメディと呼ばれたりします。

私はスイス在住なのですが、スイスでは鬱を抱えた方のお薬に頼らない回復法としてレメディを使っている方が多いです。
レメディと出会った時の私の私はまさに「鬱状態」で、薬局の方にフラワーエッセンスを勧められて飲み始めたのが出会いのきっかけです。

そんな私のストーリーを少しご紹介したいと思います。

私はスイス在住の日本人で、スイス人の夫と思春期の2男児の母です。
専業主婦で平凡な日常を送っていましたが、長男が中学1年生の時に不登校になってから、人生がガラリと変わりました。

予兆はその前からありました。小学5年生から長男の性格が荒れだして、その背景には、学校生活がうまくいかず、先生・友人とのコミュニケーションに悩みを抱えており、学校から帰るとストレス解消としてゲームに没頭する日々で、時間が来てもやめられず、何時間もゲームに夢中になっていました。そんな息子をみて私は途方に暮れていました。

ゲームをしている時の言葉遣いや態度、目の色が変わる様子をみて、心底怖かったのを覚えています。
私が母としてできることをやらなければ、取り返しのつかないことになる。そんなプレッシャーと責任を感じていました。

息子と話合いをしたり、ルールを決めたり、心療内科に相談に行き、主人といろんなアイデアを出し合い、本を読んで勉強しましたが、息子は中学に入って2か月ほどで不登校になりました。

小学校5年生から感じていた不安が的中し、とうとう来たか・・・と自分の力のなさに絶望感を感じました。

スイスでは、不登校は増えてきたとはいえ、日本に比べるとまだまだ珍しく、学校の対応も先生方も厳しい態度でした。
はじめは理解を示してくれていた先生も、息子が1か月たっても2か月たっても登校できない様子にイライラして、「反抗的な態度」「親が子供を管理できていない」「不登校は法律違反」と、非常に厳しい言葉を向けられ、私たちはただひたすらうなだれて先生との面談を繰り返す日々でした。

子供が不登校になると、親も不登校1年生です。どうしていいのかわかりません。息子は当時、私たちにも完全に心を閉ざしていました。自分のことを理解してくれる人は一人もいない。先生もパパもママも、とにかく学校に行かせることしか考えてなくて、自分の気持ちなんてどうでもいいんだ。と思っていたそうです。

息子は学校からの登校プレッシャーと、両親の「不安の塊のような視線」を一身に受けて、とても辛かったと思います。息子はますますゲームの世界にのめり込んでいきました。

フラワーエッセンスに出会ったのはそんな時でした。
スイスの薬局の方が私の疲労困憊した表情をみて、お勧めしてくれました。
聞けば、中身は植物のエネルギーと言われ、なんだかよくわからないけど、その時の心境は、自分はあらゆる手はつくした。もう、なんでもいい。なんだって試してみる!すこしでも良くなる可能性があるなら、それに賭けたい!そんな思いでした。

当時の私は、心の中で息子を批判したり、心配したり、絶望したり、恐怖でパニックになったり、数か月の間に一生分の感情のジェットコースターを味わう日々でしたが、フラワーエッセンスを飲んで1週間くらいたつと、自然の中を散歩したい気持ちになってきました。

今までは近所の目が気になったり、知り合いに会って息子の様子を聞かれたりすることが苦痛だったので、必要な買い物以外は家に引きこもる生活をしていましたが、なんとなく近くにある植物公園を散歩したくなってきました。

秋から不登校になり、気が付けば季節は初春を迎えていました。

自然の中を散歩してみると、心がじんわりと癒されていくのを感じました。

いままで周りの風景や季節を感じる余裕もなく、常に自分の思考の中に入り込んで、息子の不登校を解決するために私が出来る最善の方法は何か?ということを考えてばかりで、うつむき加減で歩いていたのに、

顔を上げて、鳥の鳴き声や、風に揺らめく木々の音を聞き、美しいなぁ。と思える心の余裕が出てきました。

冷たい春の風を頬に感じながら、もしかしたら息子の不登校は、私自身に対して「変わりなさい」というメッセージなのかもしれない。と思うようになりました。

そこから、不登校を「息子の問題」と思っていた意識が180度かわり、自分自身を見つめなおす機会を与えられていたんだ!と気が付くことで私の行動が変わり始めました。

毎日フラワーエッセンスを飲んで散歩をする日々がはじまると、不思議なことに、その時の私に必要な情報が集まってきました。

道端でばったり会った同級生のママさんが、息子によさそうなセラピーを教えてくれたり、知り合いの方が、実は私は中学時代不登校だったのよ。といって、当時の心境を語ってくれたり、いろんな方からのサポートを受けるようになり、心が苦しかった生活が少しずつ変わっていきました。

その時、私はフラワーエッセンスというとても不思議な魔法の小瓶に秘められた可能性を強く感じました。

飲んでいると、わたし自身の内側からの変化を感じ、引き寄せる情報がすべてその時に必要としていたもの、いえ、思っていた以上の素敵な繋がりやご縁すらも広がっていきました。

それまでは主人とも教育方針や不登校対応で意見が合わず、お互いがマウントを取り合う修羅場を何度も繰り返していましたが、主人も仕事をしながらも必死で情報を集めてくれたり、私たち家族を守るために先生方とのやり取りのバリケードになってくれていたことに、深く感謝をし始めました。

それぞれの得意分野を生かして、この不登校を乗り切ろう。そう家族の気持ちが一つになったのは、フラワーエッセンスを1瓶のみ終わった頃でした。

そこから3年がたち、現在私はバッチフラワーレメディのセラピストとして活動しています。

息子は結局3年間、スイスの不登校の対応が厳しすぎて登校することはほんの少ししかありませんでしたが、私たち親子はこの3年間でとても素晴らしい親子関係を築くことが出来ました。

そして2023年7月より一時的に私と長男は日本の実家に身を寄せています。
このままスイスにいても、厳しい不登校対応が続いていくことで、主人も私も学校との対応に疲弊してしまうし、なにより息子のことを守りたいという思いで、話し合いの末、1年間別々に暮らしています。

息子はかねてより日本に住みたい。日本人はみんなやさしくて暖かい人ばかりだから。と、すごく日本のことを気に入っていたので、今息子はとても幸せに暮らしています。

私もコロナの間に父を失い、お葬式にも出られなかったつらい思いがあったので、1年間はご褒美をもらったような気持ちで実家暮らしを楽しんでいます。母も父を亡くし、気持ちが沈んでいたこのタイミングで私たちが一時的に一緒に住むことになり、喜んでくれています。

すべての出来事に不思議な縁を感じるとともに、しばらく日本に住むことを望んでいたので、願望が実現した喜びを感じています。

人は、社会からのプレッシャーを取り除くと、不思議と気持ちが前向きになり始めます。息子は今まで外に出るのが苦手だったり、人と話すことが苦手だったのに、時々フリースクールに通い、私と母と出かけたり、散歩を楽しみ、一緒に栄養の勉強をはじめたり、日本の歴史について本を読み始めたり・・・息子の心が動き出しました。

私のようなつらい時期を迎えている方にバッチフラワーレメディを使ってみてほしくて、現在講座をしています。
私の記事を読んで心に響くものがあった方、バッチを試してみたいと思った方は、不思議な世界への扉をノックしているとおもいます。

バッチフラワーレメディについてはインスタでもご紹介しています。
@ai_suhi_flower

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チコリーの学びを日常に|Tsubamesalon あい (note.com)

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