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上皇后陛下が称えた緒方貞子氏のクルド難民救済

 令和3(1991)年の湾岸戦争直後、イラク北部に住んでいたクルド人は武装蜂起したものの、イラク軍に制圧され、わずか4日間のうちに180万人のクルド人がイランやトルコの国境地帯に逃れました。しかし、トルコが受け入れを拒否したため、彼らは前に進むことも戻ることもできない状況に追い込まれた。その数は約45万人に達していた。
 国境地帯は岩山で、夜間の気温は氷点下という過酷な状況だった。こうした人々をどうするかという難題に、国連難民高等弁務官の緒方貞子氏は直面した。
 難民条約(1951年)は「人種や宗教、政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあって自国外にいる人」を難民と定めている。そのため、彼らは難民ではなく、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の保護対象に該当しない。UNHCR内には原則を崩していけないという意見があった。
 しかし、緒方氏は、「国境を越えていようがいまいが、保護を必要とする人がいて、それを迅速に支援できる能力を今、持っているのは我々だ」と述べ、保護の対象を難民のみならず国内避難民にまで広げることを決断したのである。

 翌平成4(1992)年の〈皇后陛下のお誕生日に際し〉で、「この1年で印象深かったことは何ですか」と問われた皇后陛下(現在の上皇后陛下)は、「緒方貞子さんの難民高等弁務官のお仕事」と、個人名を挙げて回答している。

 そして今年2月21日、「天皇陛下お誕生日に際し(令和5年)」において、天皇陛下は次のように述べられた。
 〈1990年代に国連難民高等弁務官を務められた緒方貞子氏は、日本社会が前進するためにとして、「世界の多様な文化や価値観、政治や社会に目を開いて、そこから何かを学びとること、それとともに、国内でも多様性を涵かん養ようしていくことが不可欠です。」と述べておられます。このことは、今後の平和な世界を築いていく上でも大切な示唆ではないかと思います〉


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