シンギュラリティとベーシックインカム

ロボットや人工知能の発展によって新たに生まれる仕事もあるが、その仕事が人々が望む仕事であるとは限らない。

ロボットは人間の仕事を奪わないが、やりがいは失われていく
https://wired.jp/2018/07/12/robots-wont-take-your-job/

単調、繰り返しの多い作業はもとより、専門的な知識を要する仕事でも、人工知能による置き換えが徐々に始まっている。

会計士、弁護士、医師、政治家、すぐにこれらが、まるごと人工知能に置き換わるかは不明だが、やはりこれらも、人工知能によって影響をうけると予測されている。

「単調な作業がなくなったら、人間はクリエイティブな作業をすればいいじゃない。」というのは容易いが、クリエイティブな人材って、ちょっとやそっとの教育過程では育成できないと思う。

その他、対話して人の気持ちを察したり、人間固有の感覚を共有するのは、ロボットやAI は苦手な分野なので、人間の仕事として当面残るだろうと言われているが、それとて、どの程度の需要があるのかわからない。
しかも、それって意外と多くの人が苦手なやつだよね。と思う。

まあ、文化的な創作であれば、まだまだ創出は可能だと思うが、かといって、それらにどこまでの需要があるかは不明である。

そのほかの懸念として、冒頭のように、ロボットを監視する業務は楽しいだろうか?ロボットにできない仕事が、人間に残されたとして、それは、多くの人にとって、やりがいのある仕事なのだろうか?という疑問はある。

マッチポンプによる資本主義経済

資本主義が、お金をエネルギー源として、商業を発展させた結果、経済が発展し、テクノロジーも発展した。グーグルやアマゾンなどの巨大企業は、テクノロジーと資本主義の仕組みを利用して、さらに巨大化を続けている。
ただ、この資本主義は、永続的な正解ではない。

人々の生活にお金が必要で、それを得るために、労働をしているが、本当に必要な需要と、本当に必要な供給は、ごくごく一部で、今は、不要な需要と、不要な供給で世界の大半は回っている。

片側で火をつけて、それをポンプで火を消す、一旦うめた穴を掘り返しては、それを埋める、まだ使用できるものでも、古いものは捨て新しくする。

なぜそんなことを、強いられているのかというと、社会が資本主義のルールで動いていて、我々はそのルールの中にいる歯車だからである。

仕事は有限資源?

仕事というものは、石油のように限りある資源ではなく、アイデアさえ絞れば無尽蔵に生まれていくものなのだろうか?。人間は、果てしない欲望を持っており、より高性能、高品質なものを欲し続ける生き物なのだろうか。

例えば、吉牛(吉野家の牛丼)の10倍の価格の牛丼なら、お金があればたべれる。では、量が10倍ならどうだろう。たぶん多くの人は、10杯も食べれない。例え、お金があっても、毎日だとしたらどうだろう。5000円の牛丼より、もう少し安くても、バリエーションのある食事の方が満足感はあると思う。話は少し横にずれたが、ともかく日本の現状でも既に、供給過剰気味なのである。

このまま急速に、仕事の希少化が進むと、持つものと持たざるものとで、二極化する。それは、自由経済という意味では正しい面もあるが、弱肉強食の不平等社会となる。

そこで機会の平等、社会全体の安定を考えると、労働に関係なく、一定額もしくは、一定水準の社会保障が必要になる。

ベーシックインカム

このように、働けばお金がもらえるという時代は、まもなく終わりがくるかもしれない。今やっている仕事が、近々人工知能やロボットに代替できるなら、雇用主は、ロボット以上の利益を生み出す労働者しか残せない。しかも、最低時給なんてものもあるので、一定水準に満たない労働は、雇用枠から除外されてしまう。

そこで必要となるのが、ベーシックインカムのような社会保障制度である。別にベーシックインカムじゃなくても、働かななくても一定水準以上の生活さえできれば、良いのだが、ともかくそのような仕組みを導入する前に、ロボットなどにより労働需要が、急速に満たされてしまうと、社会システムの変更や、我々の価値観や常識や制度が追いつかず、社会に混乱に陥る可能性があるというのが今回の話です。


ベーシックインカムは、近年一般にも徐々に認知されてきつつあり、いずれ導入が進めば良いと思う。しかし、単に一律でお金が支給されるだけじゃ面白くないので、一人1台、ロボット、もしくは、クラウドなAIが国家から支給されるというのはどうだろうかとふと思った。

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