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サピエンス全史【2章途中まで】もはや脱線しまくり

言語と虚構が可能にしたもの

サバンナモンキーと再帰的な言語

人間だけでなく、サバンナモンキーにもある種の言語に近い形態で、意思疎通ができている。言語は人間特有のものとは言えない。
Seyfarth, R.M., Cheney, D.L., & Marler, P. (1980). Monkey responses to three different alarm calls: evidence of predator classification and semantic communication. Science, 210(4471), 801-803.

対して人間の言語は当たり前が、組み合わせの種類は多いし、つなぎ合わせでさまざまな意味を作れる。そして、ある事象を単純な主述をつなげるだけでなく、何層にも再帰的に表現ができる。

言語について、もう少し詳細に調べてみる。
チョムスキーとエヴェレットは、まぁ有名どころだけど、各々の主張はおもしろいなぁと思う。エヴェレットに関しては、宣教目的でアマゾンにいったのに、ピダハンを研究してたら無神論者に鞍替えしてしまったおもしろエピソードも最高だと思う。

言語の再帰性についての主要な学説は、ノーム・チョムスキーによって提唱され、人間の言語能力の本質的な部分であるとされてきました。チョムスキーによれば、再帰性は言語の普遍的な特性であり、すべての自然言語に存在すると考えられています。

しかし、これに対する重要な反論が、ブラジルのアマゾンに住むピダハン族の言語、ピダハン語に関する研究から提唱されています。言語学者ダニエル・エヴェレットは、ピダハン語は再帰的な構造を欠いていると主張し、これはチョムスキーの普遍的再帰性の主張に挑戦するものです。
エヴェレットは、ピダハン語が再帰的な構造を持たないことは、その話者たちの文化的な価値と生活スタイルに関連していると提唱しています。特に、ピダハン族の文化は「即時的経験主義」という原則に従っており、これは過去や未来の事象について複雑に話すことよりも、現在の直接的な経験に重きを置いているとされています。

この観察は議論を呼び、全ての自然言語が再帰性を有しているとするチョムスキーの普遍文法理論と対立しています。ただし、ピダハン語の解釈とその特性については学者間で意見が分かれており、一部の研究者はピダハン語にも再帰的な構造が存在すると主張しています。

ChatGPTにより生成
・Chomsky, N. (1957). Syntactic Structures. Mouton de Gruyter.
・Everett, D. (2005). Cultural constraints on grammar and cognition in Pirahã. Current Anthropology, 46(4), 621-646.

それから、象徴化というおもしろい概念もあるが、こちらはまたの機会に。


ダンバー数とミーム

ダンバー数は、社会的関係性の上限が約150人とするもの。
しかしそれだけでは、親族と友人くらいの集団で終わってしまう。

ホモ・サピエンス以前では、遺伝的な制約で行動の変容に限界があった。しかし、人間は言葉=ミーム(ほんとうはもっと広い概念だろう)によって、集団行動を変えれるし、社会的な大きい変化を実現できるようになった。

あまりにも素朴に信じている虚構たち:

・会社
実際には、登記上にしか存在しえない。だからちょっと不安定で競争が激しくなると、すぐ我々のミッションとかを唱え出す。
*本書では、Cooperationのラテン語の語源を引いて、おしゃれな文章を書いているが、調べてみるとどうも違うみたいだけど。著者のような博学にしか知らない情報なのだろうか。

・国家
将軍の統治から天皇が国家元首の国へ、そして1億総玉砕に100年くらいで変貌できるのは、虚構のおかげだ。そして玉音放送から1発で民主主義になる。
*本書では、ドイツの1900年〜2000年の政治体制の変化や、王権神授説から人民主権への変化を例に説明されている。このあたりの単語もChatGPTに文献付きと聞きながら読んでいくとおもしろい。

・宗教
ピダハンには、キリスト教の布教が失敗したように、言語的な形態が違えば意味をなさない代物。パンとぶどう酒に、神の肉と血をメタファーで感じるのはかなり滑稽ちゃ滑稽だけど、すごい。

つまり、赤の他人を信頼して、経済活動をしたり、交換をしたり、ある目的に対して協力しあうには、皆で共有できる物語=虚構を信じる特性を持てたからに他ならない。

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