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2019年を乗り越えて

あけましておめでとうございます。

無事に2019年を乗り越えることができて、本当に良かったと思う。
2019年を端的に表すと「不平不満しかない1年」だった。年初(1月~3月)は、脇目も振らず働いていた。忙しいと感じる余裕もなく、自分が1週間にどれくらい働いているのか、そして土日にも仕事をして、一体、この仕事だらけのスパイラルはいつ終わるのだ?と、考えたくても、そんな暇さえないくらい忙殺されていた。そんな頃に、頚椎ヘルニアを発症した。

2月下旬。夜中の3時にタクシーで帰り、1~2時間の仮眠を取ってから目覚めたところで首に激痛が走った。激痛を押し切って、5時半頃にタクシーに飛び乗り、つい2時間ほど前に通った首都高を再び走り、会社に戻っていた。首の激痛は朝6時半頃にピークを迎え、PCでタイピングすることもままならず、自分で救急車を呼んで、病院に行った。痛み止めを飲み、結局11時頃に会社に戻り、そのまま16時頃まで働き、早退するものの、家に帰ってからも仕事をしていた。

その辺りから、精神的な異変を感じ始め、結局5月に「適応障害」を発症し、6月から8月までの3ヶ月間、休職した。

9月から復職したものの、会社に対する不信感が拭えないまま、12月を迎えた。会社と話し合う場が何度かあった。復職後、休職明けの自分には到底できそうにない量の業務量が割り振られ、上司に直談判した。

「このままでは、また同じ状況になりかねません。こんなことは本当は言いたくないのですが、自分の身を守るためにも、業務量が多過ぎるので減らしてください」と伝えた。

上司には「そうか。ごめん」と言われ、後日、業務量を減らしてもらった。

あとで聞いたところによると、その上司はそのことで悩んでいたそうだった。「業務量が多いと言うけど、俺としては全くそうは思わないし、こんなことでそう(業務量が多いと)言ってしまうのか」と思っていたようだ。

その後、その上司と話し合いをするも「業務は減らす。でも給料…というか雇用形態は変えざるを得ない」「被害者意識が強いのでは?」と、言われてしまった。

2019年の始めに、あんな働き方があって、身体を壊し、2度と同じ状況にならないために、申告した所、減給の話を持ちかけられた。そもそも「業務過多」という事実は全く加味されていない様子で、それに対応できない僕が悪いという見方がショックだった。

休職期間中、ずっと自分と向き合ってきたハズだった。自分の身を守るのは会社でも友人でも家族でもなく、自分自身だ。もちろん、会社も友人も家族も(家族には申告していないが)、僕の身を案じて寄り添ってくれた。その点には本当に感謝している。しかし、結局自分の身を守ることができるのは、本当に自分だけなのだ。

だから「仕事の量が多い」と申告することで、身を守ろうとした。しかし、会社側としては「はいそうですか」という訳にはいかないようで、雇用形態変えるか、減給(結局減給)しか方法はないようだった。

そういうものなのだろうか?

そういった会社側の動きは全く想像していなかった訳ではないし、多少覚悟はしていたものの、やはり実際そう言われてしまうと、ショックだった。

しかし、年末に「自分の身は自分で守る」という行動を取れたことを、僕は自分の中で大きな変化であったと思っている。

組織に所属する以上、そこに魂まで縛られる必要はない。イヤなら逃げていいし、無理そうであれば、拒否していいのだ。

もちろん、組織に対してそういうことを発言することは、ハレーションを生む可能性もあるし、減給に繋がる可能性だってある。立場も危うくなったりもする。それでも、自分の身が危険だと思ったら、発言すべきだし、動くべきなのだ。と今でも思っている。

会社側のそういった姿勢に対する不満が、年を明けた今でも拭いきれないし、きっと会社側も僕という社員を良いとは思っていないと思う。

僕だって、もう30歳になる。仕事をするビジネスマンとしての「甘え」や「怠惰」と、そうでない部分は区別できると思っているので、昨年の状況は相対的にみても、業務過多だったように思うし、間違った申告はしていないように思う。

結局転職に踏み切ることができないまま、2020年を迎えることになった。

不平不満も多い年だったけれど、反省する部分も多いし、もっと人に感謝して、もっと人をリスペクトすべきだった。と思うことも多い。

2020年のテーマは改めて「感謝とリスペクト」。

そう思われる人になりたいし、そう思える人達と働きたい。そして、無条件でそう思えるようなマインドセットを、自分でも構築していきたいと思うのだった。

本年も宜しくお願い申し上げます。

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