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今日くらいは「当たり前」に感謝を

僕は今、京都でLaughterというコーヒーショップを運営しています。

今日3月11日は東日本大震災から13年。
毎年この時期になると、震災関連のニュースや特集が組まれますが、今年は正月に能登半島地震があったことから、東北と能登の繋がりを取り上げるニュースもありました。

今朝見たニュースでは、東日本大震災から再建を果たした酒蔵さんが、能登半島で被災した酒蔵さんの再建を支援されているとのことでした。

こうしたニュースが取り上げられるとアナウンサーさんやコメンテーターの方が「当たり前の日常に感謝しないといけないですね」とコメントされます。

昨日までそこにあった大切な人や仕事などを一瞬で失うつらさは想像を絶するものです。
「大切なものは失ってはじめて気づく」なんて言葉がありますが、本当にその通りなんだろうと思います。

一方で、「当たり前」に感謝するってめちゃくちゃ難しいことだと思います。
感謝するのを忘れてしまうくらい不変的なものであるからこそ「当たり前」なのであって、逆説的な言い回しになりますが、ことあるごとに意識して感謝するようなことは「当たり前」と言えないのではないかと思うのです。

感謝するどころか、絶妙なバランスの中で存在しているものなのに、その存在すら意識していない。それこそが、「当たり前」なのだと思います。

だからこそ、3.11といった節目の時くらいその「当たり前」に感謝することが大切な気がしています。
皆で暗い気持ちになるための3.11ではないと思うのです。

震災を直接経験された方も、そうでない方も。
生きているときに3.11を経験したものとして、その瞬間の偽らざる気持ちを持ち続け伝え続けていくのが使命なのではないでしょうか。

普段はそこまで顔を合わせていなくても、法事のタイミングで顔を合わせて思い出話や近況報告に花を咲かせるように、今日という一日が「当たり前」のありがたさを皆で共有できる一日になれば良いなと心の底から思います。

今日くらいは「当たり前」に感謝を。

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