文星閣水なし印刷ストーリー

プロローグ
私は1963年6月生まれの59歳
人生を振り返るにはまだ早い年頃だが、この水なし印刷ストーリーには私の人生と大きく関わっているので、自己紹介からはじめます。
東京都大田区に生まれて中学時代は横浜市青葉台に住み、明治学院東村山中学校という辺鄙な学校に通い、高校(同東村山高校)に入る頃には世田谷区の等々力に引っこし、まさに日本は高度成長時代に徐々に裕福さを体験できた少年時代でした。
ただ、両親が高齢ということもあり、中学時代から一切のお小遣いがなく、『自分で稼げ!』と教育されたため、中学生時代より、父の会社(文星閣)でアルバイトさせてもらいました。(今の世の中では不法就労?)

当時はまず製本工場にて仕上げられた製品をクラフト梱包のお仕事
クラフト紙とガムテープで包む作業をして結束機で紐がけして荷積みするという単純作業と印刷現場で紙積み作業員として身体を鍛えていただきました。中学生にとって、一日中立ち仕事をする事自体、大変でしたが、殆どの夏休み、冬休み、春休みと大型の休みはほぼ働いておりました。お陰で通常の、中学生以上に小遣いを稼ぐことができ、ほぼ欲しいモノ(当時ですと自転車、スケボー、オーディオコンポ等)を手に入れることができました。高校生になると、職場も変更、今度はPS版というアルミ版の印刷版に印刷の原稿フィルムを焼き付ける刷版という現場で2年、当時の刷版機と言うのはアルミ板に印刷用の原稿フィルムをセロテープで貼り付け先ずは密着させて空気を抜き取り、数分間ハロゲンランプで焼付を行うのですが、1面焼きであれば、一回の露光で済みますが、4面付け、8面付などは同じ作業を4回、8回繰り返して行きます。焼き終わると現像機にかけるのですが、自動現像機は最近の代物、当時はいちいち、液剤で洗い落とす手現像、現像が終わるとガム引きと言って版面を保護する液剤を塗って乾燥機で5分~10分乾燥させて出来上がり、非常に手間のかかる作業でした。現在はCTPというレーザー光線で出力し、自動現像もしくは機上で現像する刷版となり、30年かけてフルオートメンションとなりました。 その後は製版という部署でフィルムレタッチ作業、カラー写真の色分解作業などに1年従事しましたが、この作業も現在ではDTPという技術により、色分解や網掛け等、ほぼコンピュータで作業ができてしまい、現在では不要な作業となりました。その後、いよいよ大学生時代には単色の印刷機、カラーの印刷機のオペレータを経て卒業年の一年間は営業のデリバリー部門で軽自動車で都内中をぐるぐる回ることを経験し、新入社員で会社に入社したときにはどの社員より、会社全体の仕組みと印刷の仕組みを理解したスーパー新入社員でありました(自画自賛)
次号、1)水なし印刷を始めた理由・・・ に続く

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