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【30代OLエッセイ】人生の海、どうやって渡る?【結婚適齢期で思うこと】

驚くほどに、「結婚適齢期」を迎えている。

私が、ではない。周りの同世代の女たちの話だ

大学時代の友人が今年に入って3名結婚し、職場の4つ年下の後輩も同じように籍を入れた。かと思えば、2つ下の後輩とイタリアンに行った際にも「実はもうすぐ結婚しそうで・・・」と打ち明けられる。

単純に圧倒されてしまう。

私が現時点で持っているカードの中には、「結婚」はおろか「彼氏」も「彼氏予備軍」も「ちょっと気になる人」もいない。それなのに、周りはさくさくと、恋愛のゴール地点に綺麗な着地を決めている(ように見える)

皆、すげぇな。

デジャヴを思い出せ


こんな状況、前にもあった。就職活動の時だ

私が何時間もマイナビだのリクナビだのといったページを延々と冴えない顔でスクロールしている間に、友人たちは悩み苦しみながらもきちんと就職先を決めていた。

彼・彼女たちのことを私は本当に尊敬していた。だって皆、就職活動をちゃんと「今やるべき取組」としてちゃんと捉えていたのだ。

私は就職活動してます風を装いながらも、「就職なんてやりたくない、私に仕事なんてできない」と思い込んでいた。

当時の私はコンプレックスを抱えるだけ抱え込んでおり、それとの対峙にメンタルをすり減らしていた。そんな人間が、「仕事」という、SNSで検索すれば阿鼻叫喚が広がる世界でやっていける訳がないと、妙な自信すらあった。

友人たちが羨ましかった。

ちゃんと階段を上っていく友人たちと、踊り場に取り残されたままの自分。その差を感じれば感じるほど、自己嫌悪の波に溺れていた。

―――今は、どうだろう。

漕ぎ疲れない方法、これじゃないか?


正直、結婚報告を聞くたびに、羨ましい気持ちはある。誰かに選ばれた存在というだけで、何だかその人が特別なように見える。社会的に前に進んでいるようにも見える。いいなあ、という気持ちはやっぱり無視できない。

けれど、あの時と違って、自己嫌悪には陥らない。

一つは私自身にあまり結婚に憧れがない、というそもそもな部分もある。けれど結局、私はようやく自分の人生のペースというものを掴みはじめただけなのだ

人よりも周回遅れで何事も進めている。けれど、自分にとってそれが居心地がよく、納得しながら進める道だと思うと、私は安心して毎日を過ごすことができる。

例えば、大学生のときに周りで盛んだった一人旅の楽しさに最近ようやく気付けるようになり、コロナの合間を縫うようにして、ちょこちょこと出かけるようにもなった。

きっと、そんな感じで周りが「こいつはいいぞ」と気づいてから数年後、私も同じように「こいつはいいぞ!」と騒ぎ立てているのだろう。周りはもうとっくに卒業しているだろうけど。 

けれど、周りにのせられるのではなく、自分自身がその感覚に気付いた時に波に乗る方法が私には合っているだけだ。

『マイペース』という言葉


「〇〇活」に関する脅し文句は余りにも多い。

「新卒カード」
「就活失敗」
「良い人はすぐにいなくなる」
「年齢を重ねれば妊娠しづらくなるから結婚はやっぱり早い方がいい」

恐らく全て事実だろうと思う。けど、その事実を全て飲み込んでまで、自分のペースを崩してしまうと、足がもつれて転んでしまいそうだ。

内定取れた、の投稿にじくじくした気持ちを抱えながらリアクションをするときもあれば、周りの結婚報告に少し胸が痛めながらラブソングを聞いているときもある。

けれど、自分の船のスピードは自分が一番よく知っている。

そんな気持ちを忘れずに、目の前に広がる海に進んでいくの、結構悪くない。

そう信じて私は今日もウェディングソングを聞きつつ、都合の良い妄想を楽しんでいる。



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