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【5分でほっこり】とある就活生のボーナスステージの過ごし方【小説】

私の身体は、最近、風船のように膨らみだしている。
 
最初は、小学生が顔を赤くしながら膨らませるように、緩やかなスピードで球体に近づいていた。
 
それが今では、子供たちの憧れの的のような、完璧な形の風船に私の身体は瓜二つだ。もし外に出れば、ふわりと浮いてしまうんじゃないかと思うぐらいに。
 
事の始まりは2か月前。うちの大学の薄暗いカフェテリアでのことだ。
 
「就活失敗だよね」
 
何気ない友人の言葉に、私ははっきりと自身の根幹が揺らぐのを感じた。暴風雨に耐え忍んでいた木の幹に、風で飛ばされてきた鉄の塊によって大きく傷をつけられたような気分だった。
 
「ほら、あたしの同じゼミの浜口。知ってる?△△社系列の子会社だって。なんかさー、あれだけ頑張ってたのに、結局そこにしか引っ掛からなかったんだー…って思って」
 
浜口、という子が男の子かも女の子かも分からなかった私は曖昧に頷く。そして、さっきの言葉の羅列が延々とリフレインして、私の思考の行く手を阻み、叩きおるようにして、その勢いを失わせていく。
 
就活失敗。
 
「奈々だったら顔採用だってありえるでしょ」なんて言われていた1年前。
思いのほか進まない選考。
面接まで進んでも、結果は全て、薄っぺらい私の今後を祈願してくれるだけ。
 
少しずつ自分の理想を下げていった。何ならもう正社員ならどこでもいい、ぐらいに思っていた矢先のことだった。
 
私の「何か」が、友人を、就活を、社会全体を受け付けなくなった。その代わりに、毎日浴びるように何かを口に運び、体内に取り込むようになった。
 
 
私の身体は今日も膨らみを増していく。円周率。そんな制服を着ていた頃に常識のように口にしていた頃の言葉を思い出しながら、ネットスーパーで購入した菓子パンを口いっぱいに頬張る。
 
綺麗にしていたはずの床は、いつの間にかペットボトルとテイクアウト用の簡易容器で埋め尽くされた。フローリングが観測できないようになる様が段々面白くすらあった。
 
最初は友人たちが心配するメッセージでしょっちゅう震えていたスマホも、私の「少しだけ一人で考える時間が欲しくて」という言葉を前に、徐々に無力化していった。
 
皆優しくて聡い。他人がひいた線を、何も考えずに踏み込んでくるような人間は、ドラマか漫画の中にしか存在しない。
 
最後のナゲットを咀嚼し終えると、私の二の腕が、またぷくりと膨らんだような気がした。

最初はヘリウムガスでできた風船のようだ、と思ったけれど、最近では水風船のそれにちかい。たぷたぷ、という音が聞こえてきそうな弾力に満ちている。
 
身だしなみ、という概念からもっとも遠い存在になってみると、思っていたよりも愉快だった。
 
リクルートスーツなんかくそくらえ。
 
私は一口残っていた、500mlのコーラを流し込み、その甘さを喉の奥へと押し込めるようにして飲み込んだ。
 
 
その日も私は慣れた手つきで、馴染みのハンバーガー店の宅配依頼をスマホ上で行った。後は店員がドアの外に商品を置き、立ち去るのを待てばいいだけだった。
 
いつもと少し違ったのは、私がどこの店に頼むか判断に迷ったことで注文自体が遅くなり、予想到着時間がいつもよりも少し遅かったことだ。

いつもよりも強く感じる空腹感に、私は苛々とスマホの画面を延々と、特に見たくもない情報で埋め尽くされたSNSをずっと巡回し続けた。
 
がちゃん。
 
ドアの外で聞きなれた音がした。―届いた!
 
居てもたってもいられず、玄関に向かう。あ、と思った頃には自然とドアを開けていた。

金髪の、同い年ぐらいの男の子と目が合う。
 
向こうも少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔を作ると、こんにちは、と頭を下げた。私は一気に顔が赤くなるのを自覚しながら、つられて慌てて頭を下げる。
 
いつもは居なくなったのは見計らってからドアを開けるのに。
 
私のぶくぶく太った体や、洗っていない脂ぎった髪を見て、この男の子はどう思うだろう。
 
しばらく自分の中に閉じこもっていた私は、急に現れた他人―大袈裟に言えば、社会の中に放り込まれた時の自分、と急に向き合わざるを得なくなったことで、軽い絶望すら覚えていた。
 
「いつもありがとうございます」
「えっ・・・えっ?」
 
話かけられたことに戸惑っていると、男の子はにかっ、と笑う。
 
「結構よく配達させてもらってるなー、って」
「あ、えっと、はい」
 
覚えられている、という事実が追い打ちをかける。ダブルチーズバーガーとポテトドリンクセット、ナゲットが入った紙包みをぐしゃり、と握る。

最早このまま消えてなくなりたい。
 
「ちなみになんすけど」
 
まだ何かあるのか、と思わずうんざりした顔で男の子を見つめた。
 
「お姉さん、今日、外出ました?」
「え?あ、いや、出てないですけど…」
「今日、すっげー気持ちいいですよ、外。なんつーのかな、急に春が来た、みたいな?」
 
そう言って、男の子はマンションの廊下からかろうじて見える風景に目を移した。私も思わず同じ方角を見る。

確かに、いつもよりも穏やかな日差しを感じる。季節外れの暑さすら感じるくらいの。
 
「たまには、こういう日があってもいいでよね。ボーナスステージみたいな?」
「はあ」
「俺も早く上がって遊びいきてーなー。…お姉さんも、ボーナスステージ、楽しんでくださいねー」
 
またお願いしまーす、と最後に営業トークを投げかけて、男の子はエレベーターの方へ走り、あっという間にエントランスのあるフロアへと吸い込まれていった。きっとまだ配達が沢山残っているのだ。
 
2か月ぶりの人との会話に面食らい、くらくらしていた私の頭が、ここにきてようやく、正常に動き始める。

よれよれのグレーのスウェット、キャラクターものの健康サンダルというコンビで応対したことに対する羞恥心も、同時にせり上がってきた。
 
「…外」
 
ぽつり、と思わず声が漏れた。それと同時に、ボーナスステージ、楽しんでくださいね、というお兄さんの言葉が反芻し、頭の片隅できらきらと瞬く。
 
誰も見てない。そう言い聞かせながら、私は申し訳程度に外出できる程度の服に着替え、健康サンダルよりはマシだと思われる古いスニーカーに着替えた。
 
自分の住んでいるマンションから、歩いて10分もかからないところにある公園がある。

どうして急にそこに行ってみたくなったのかは分からない。あの男の子―いや本当は年上のお兄さんかもしれない―と、外の陽気に魔法にかけられたような気分だった。
 
幾度となくゲームオーバーを繰り返し、絶望していた私にとって、「ボーナスステージ」という言葉があまりにも魅惑的な響きだったからかもしれない。
 
ボーナスステージなら、失敗しても本筋のストーリーには関係がない。成功したらちょっと嬉しい。それぐらいの感覚が、私が今求めていたものかもしれなかった。
 
思っていたよりもじりじりと暑かった日差しを浴び、化粧はおろか日焼け止めすら塗らずに出てしまったことに後悔している間に公園に到着した。やや寂れて古くなった滑り台がいつもと変わらずに中央に鎮座している。

子どもの姿はない。そう言えば、今日は平日だったっけ。引きこもっている間にどこかに落としてしまっていた感覚を一つずつ拾っていくようだった。
 
私は石でできたベンチに腰かけ、先ほど配達されたハンバーガーの紙包みをいそいそと開ける。少し時間が経ったからか、少し湿気で柔らかくなっていた。
 
からりと晴れた青空に目がちかちかして、思わず眉間に皴が寄ってしまう。今絶対ぶさいくな顔になっている。まあいいか、誰も見てない。ボーナスステージなんだから。
 
いただきます、と誰に聞かせるわけでもなくつぶやいてから、いつも通りかぶりつく。外で食べると美味しい、なんていうこともない、いつもと同じ味だ。

そもそも元から美味しい。味よりも気分として、悪くない。というより、気持ちいい。

多分この気持ち良さが美味しいね、という感想に凝縮されるんだ。
 
ふと、今まで触ろうともしなかったメッセージアプリを開いてみる。

私の遠まわしな社会断絶宣言以降も、「元気?」「大丈夫?」「生きてる?」とメッセージを日をあけつつも送ってくれた友人に、「ぼちぼち」と、我ながら何ともそっけない返信を返した。
 
途端、着信のときにしか鳴らないアラームが響いて、思わず落としそうになる。
 
「奈々!あんた大丈夫なの?!」
「うん、何とか…多分。ごめん、心配かけて」
「本当だよー。え、どっかで会いたいんだけど!」
「じゃあ…今日は?日が落ちちゃう前に」
 
私の提案に、えーちょっと待って、と慌てる友人の声が少し遠くなる。スケジュールを確認しているのだろう。
 
ちょっと調整してみる、という友人に、「もし大丈夫そうなら、またメッセージちょうだい」と返して通話を切った。
 
風がさわさわと頬を撫でる。あー、とまた思わず声が出た。
 
何もかも嫌だと思っていたのに、今の私の身体は、心は、今この瞬間の気持ち良さに身をゆだねている。
 
何もかも解決していないのに、今はまた何となく、またしてもいいかな、という気分にすらなった。
 
「…あー!」
 
もう一度大きな声が出る。
 
食べ終えたハンバーガーの包み紙を、公園の隅っこにあるごみ箱に捨てる。スマホをズボンのポケットに入れた。
 
後はまた家に帰るだけなのに、何故だか無性に走りたくなった。
 
誰もいないことを確認して、公園の入り口からマンションの方角に向かって、一歩、二歩、脚を動かす。
 
私の球体になりかけている体が揺れる。重たいな、と思いながら思わず笑ってしまう。
 
美味しい、いなくなりたい、気持ち良い、面倒くさい、楽しい、辛い。
 
この数か月に私の中に渦巻いた感情が、走れば走るほど、どこかへ消えていく。
 
「あははは!」
 
全然走れていない身体を揺らしながら、私は声をあげて笑った。偶然すれ違ったおばあちゃんに不審そうな顔で見られた。

いいや、そんなこと。私がどこに就職しようと、毎日何をして過ごして、たまのボーナスゲームをどう楽しもうと、そんなの、他人に測られるものじゃない。
 
外で食べるご飯は美味しくなるわけじゃなくてシチュエーションに酔ってるだけ。けれど、それでも気持ちいいって、私がそう感じるならそれが全てだ。
 
私の風船のような身体が、針を刺されたように、急にしぼんでいく感覚を覚えた。自分の身体に、私自身が再び馴染んでいくようだった。

ボーナスステージを全力で楽しむために、私はより一層、踏み出す足に力を入れた。

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