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気散じにブックカバーチャレンジのことでも

職業柄、学生をはじめ、いろんな人にお薦めの本を聞かれることがよくある。しかし、本は導かれるようにみずから読み渡っていくものであって、誰かに推薦してもらうものではない。あらゆる本はゆるやかに繋がっていて、〈本の島嶼群〉を独力で島伝うのだ。こうした考えに至ったのは、「そもそも本を「冊」という単位では考えていない」という、敬愛する詩人・管啓次郎さんの影響も大きい。一方で、本のことを書いたり、語ったりするのは好きだ。書評やブックトークの仕事は喜んで引き受ける。

自身の原稿の校正に困じ果てて、気散じにnoteに何か本のことでも書いてみようかと思い立った。以前、作家の姜信子さんに「本を読むのに疲れたら本を読むタイプでしょ?」と言われたことがある。その通り。仕事の本を読むのに疲れたら、趣味の本を読む。それとちょっと似ている。ただ、いま読み進めているいくつかの本のことを語る膂力が今日は残っていない。さてどうしようか、と思っていたら、昨年の自粛期間中、SNSで「7日間ブックカバーチャレンジ」が流行っていて、私もやっていたことをふと思い出した。そのときに挙げた本と付したコメントをここに改めて書きつけてみようと思う。(写真は私の研究室)

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(1)『ストレンジオグラフィ』(管啓次郎、左右社)
学生時代から管さんの著作群を愛読し、その鼎を扛ぐる圧倒的な筆力にただただ憧れてきた。旅ができなくとも、旅を回顧し、旅を考え、他者の旅を観念的に追体験することはできる。本書を通して、旅をめぐる思索の旅へと途立ってみては。

(2)『ギター・ブギー・シャッフル』(イ・ジン、岡裕美訳、新泉社)
韓国の音楽界にロックとジャズが浸透し始めた1960年代。いまや世界中の若者が熱狂するK-POPの原点とも言えるその60年代の音楽シーンを瑞々しい筆致で活写した長編小説。なお、イ・ジンさんとは今秋に開催予定の文学関連イベントを現在一緒に企画中。この小説についても大いに語り合うことになるでしょう。(*註:昨年10月に行なわれた「歩く文学」のこと)

(3)『愛の詩集』(谷郁雄、飛鳥新社)
『日々はそれでも輝いて』『大切なことは小さな字で書いてある』『恋人募集中』『愛の詩集』の中からどれにするか迷ったが、やはりこうした困難な状況の今だからこそ、心に〈愛〉と〈詩〉を。象徴的な意味合いも込めて『愛の詩集』を選んだ。詩の間に挟まれた市橋織江さんの美しい写真にも癒される。何度もにれかむように読んだ枕頭の詩集。

(4)『本日の栄町市場と、旅する小書店』(宮里綾羽、ボーダーインク)
沖縄は突如として遝至する。沖縄×本屋×市場という掛け算は創発的に曰く言い難い魅力を醸成する。著者にお会いしてみたくなって、八重山からの帰路に宮里小書店に立ち寄ったのが一昨年の春。次に沖縄に行けるのはいつになるだろうか。本書が描出する栄町市場の風景に思いを馳せたり、本書所収の書評群に導かれて〈本の島伝い〉をしてみるのも、咫尺を弁ぜぬ今の状況を少しでも楽しく過ごす方法かも。

(5)『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹、マガジンハウス)
内田氏との面晤は一度もないが、私がまだフランス語を専攻していた頃から、その著作を通して、様々なレイヤーで至大なる影響を受けてきた。多作の思想家だが、書籍化されているものは、刊行されたばかりの『街場の日韓論』(編著)も含めて、その大半を繙読している。推挙したい氏の本はあまたあるが、1冊ということであれば、これ。何となれば、内田先生の「自叙伝」だからである。いかにして内田樹という稀有なる思想家が形成されてきたか、その来し方が分かる。「そのうちなんとかなるだろう」というオプティミスティックな題目も巧まずして、気鬱な現況を慰藉し、鼓吹してくれる応援歌となろう。

(6)『台湾生まれ 日本語育ち』(温又柔、白水社)
温さんとはこれまで3度ほど仕事でご一緒した。温さんは小説家だが、このエッセイ集も凄い。日本語、中国語、台湾語のあいだを幼い頃から遊弋しつつ、ことばをめぐって、実存的に追究し、時に煩悶し続けてきた温さんだからこそ書き得た、言語を思考するすべての者の必携書。「母語」や「国家」など、自明のものとして処理されがちな概念を根問いし、「越境」などといった凡庸な術語に縮減されることを峻拒する。〈日本語に住む〉という、シオランを想起させる帯の言辞も印象的。本書を読んでから、温さんの師であるリービ英雄氏や、本書でも言及されている李良枝氏の作品に触れてみるのもいい。いずれの書き手も、私の言語観を大きく変転させた方々。

(7)『時のしずく』(中井久夫、みすず書房)
精神科医の中井久夫先生のエッセイ集。中井先生のどの本でもそうだが、これも先生の博覧強記ぶりが触知される断想群。
中井先生をはじめ、精神科の先生方には、人文学的な素養がある方が相対的に多いような気がする。ここ数年の間に辱知を得た精神科医の知人たちもそれぞれに文学、美術、音楽と、医療以外でも興味深い活動を展開されている。私は物心をついたときからある時期までずっと医師になるのが夢だった。言語や外国への結紮し難い強烈な関心が萌芽しなければ、たぶんそのまま医学の道に進んでいただろうと思う。今でも漠たる関心だけは湮没しておらず、医学医療関係の本や記事もよく読む。COVID-19が契機となって、誰もが普く健康というものを意識せざるを得なくなったが、健康という概念は損なわれたときにはじめて、欠性的な形で現出する。そして、斯かる状況下では、ウイルスに感染せずとも、精神的健康(健康には4種類ある)が侵される人々が陸続と現れてくるだろう。今こそメンタルヘルスというのが大事なのは贅言を要さない。

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上に挙げた本は必ずしも私の「推薦図書」というわけではない。専門書や古典類もあえて外してある。それに、好きな本を挙げよと言われたら、たぶんその日によって違う。同じ日でも、そのときの気分によって異なるだろう。もしいま7冊選ぶとしたら、と考えてみたら、また別の本が次々に頭に泛ぶ。こうして、ブックカバーチャレンジは、半永久的に続けられる。そして、本は「冊」で数えられる可算的な存在ではなく、境界が常にゆらぐ不可算的な連続体であることを再認識するのである。

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