東田圭

東田圭は、岡山市にある地名「東畦」から取りました。 20代の後半ごろ、教室(学習塾)を…

東田圭

東田圭は、岡山市にある地名「東畦」から取りました。 20代の後半ごろ、教室(学習塾)をひとつ任されたことがあり、そこの地名です。 大勢の男生徒が30㎞も40㎞も離れた我が家に自転車で遊びに来たり、 大勢の女生徒にバレンタインをもらったり。 思い出が尽きません。

最近の記事

置かれた場所で咲け lyrics

踏まれても蹴られても それを肥やしに生きろ 受けとめよ 若き者たち 置かれた場所で咲け 神は今そっぽむき 知らんぷりしているぜ 運命は容赦ない 泣いてもわめいても やってみなけりゃ見えない夢もある 這いつくばらなきゃ見えない夢も 自由なんてただの見せかけとわかった時に 自由に生きる意味が知れる 置かれた場所で咲く花は それぞれに美しいのさ だからこそ走りだせ それから考えりゃいい 手を伸ばせ今すぐに 待ってはくれないぜ 幸せは今ここにあるものさ 気づくかどうかの違い

    • 一文は無文の師、他流勝つべきにあらず 昨日の我に、今日は勝つべし  essay

      柳生石舟斎の言葉である。昔は岡大空手道部でも「克己」という言葉で己を律し、自己の向上に努めてきたが、意味としては似たようなものだろう。前半は吉川英治の「我以外皆我師」に通ずるものがある。彼の作品のモデルである宮本武蔵本人は、五輪書に「万事において我に師匠なし」という言葉を残しているが、「師匠がいない」というのは「みんなが師匠」というのと結局は同じことを意味しているのだろう。人は一人では生きていくことはできないが、一人でしか生きることはできないのだ。 武道に限ったことではない

      • 花は蕾みほころび  季節(とき)を刻み散りゆく 永久(とわ)の命受け継ぎ  言葉もなくたたずむ 風は頬をなでつつ ここにいるとささやく 思い浮かぶいにしえ 君はそっとほほえむ 雲は空に浮かんで 風にその身任せて 今に生きる幸せ 求め続け漂う 原曲 ふるさと 作詞 高野辰之   作曲 岡野貞一

        • 令和還暦

           今年五月新天皇が即位し、「令和」という新時代を迎えることとなった。我々国民はと言えば、まるで新年を迎えたかのような祝賀ムードに染まっていた。平成のように喪に服することなく始まった令和には、人々の希望を包み込んで明るく平和な時代を現出してもらいたい、そんな願いが込められているようである。  ちまたでは、令和の「令」は、「命令の令」だから違和感があるという意見も多く見られた。確かに「令」には、「命令する」とか「法律」とかの意味があり、成り立ちとしては「冠をかぶってひざまずく人

        置かれた場所で咲け lyrics

          君たちはどう生きるか

           表題は昨年7月14日に封切られたジブリ映画のタイトルである。事前の宣伝が一切ないという、映画としてはありえない封切りに、多くのファンの期待はよくも悪くも裏切られたという。たとえば、「となりのトトロ」のイメージを抱いて見てしまうと、難しすぎて全然おもしろくない。特に夏休みに合わせた子供映画かと思っていると、全くの期待外れとなってしまう。逆に、こういった映画に対して目の肥えた方々には、何度も見てさらなる考察をしたくなるような深い意味のある映画なので、いい意味で期待を裏切られた人

          君たちはどう生きるか

          さらば友よ

          届かない夢を追い 疲れ果て倒れこむ 差し延べる僕の手を 振り払って立ち上がる 人はみな孤独な兵士だと 君は言う その背中 同じ空仰ぎつつ さらば友よ またいつか 出会いとは 生きてきた これまでの先にある きらめきの贈り物 受けとめないと消えてゆく ありがとう 友情という名の 絆手に握りしめ 同じ空仰ぎつつ さらば友よ またいつか 人はみな孤独な兵士だと 君は言う その背中 同じ空仰ぎつつ さらば友よ またいつか 同じ空仰ぎつつ さらば友よ またいつか    ※原

          さらば友よ

          木の葉が風に

          哀しい人がいたら 泣いてあげてよ 僕の愛しい人よ 木の葉が風に 舞い落ちたら そっと涙こぼすだろう 誰も知らない この道で 哀しい時はいつも ここにおいでよ 僕の愛しい人よ 木の葉が風に 舞い落ちたら そっと涙こぼすだろう 誰も知らない この道で 愉しい時に人が 微笑むように とても哀しい時は うつむけばいい 涙浮かべて それがこの道の始まり 君がひとりで 歩く道 哀しい人がいたら 泣いてあげてよ 僕の愛しい人よ 木の葉が風に 舞い落ちたら そっと涙こぼすだろう 誰も知

          木の葉が風に

          鬼は内

          今年も節分が近づいている。節分と言えば「豆まき」。「鬼は外、福は内」と言いながら豆をまく、あの「豆まき」である。岡山市にある「宗忠神社」(黒住教の教祖黒住宗忠が祀られている)では、その「豆まき」で「鬼は外、福は内」と言わずに、「鬼は内、福は内」と言って豆をまくそうだ。 そもそも、なんでそんなかけ声になったかと言うと、宗忠神の奥さんが言い間違えたからだという。やり直すという奥さんを止めて、「うちくらい鬼を家の中に入れてあげたらどうだ、鬼もかわいそうじゃないか」と、そのままにし

          この広い世界の片隅で

          この広い世界の中で 片隅を照らす灯りよ 君は今何を思って暮らすのか いくつもの春を数えて いくつもの秋を数えて 過ぎてゆく時に流され朽ちてゆく ああ 君はそれでも 宿命(さだめ)だと受け入れるのか 哀しみは命のきらめき 輝いて… この青い大空見上げ 明日(あした)への道を確かめ 君は今何を思って暮らすのか いくつもの春を数えて いくつもの秋を数えて 過ぎてゆく時に流されて朽ちてゆく ああ 夢ははかなく 絶望の果てに見えるよ 一筋の希望のきらめき 輝いて… 哀しみは命

          この広い世界の片隅で

          火の鳥

          (Every-thing goes so well. Every-thing goes so well. Say! so! Say so!) なんでもかんでもできるのさ 自分こそが世紀の天才と  根拠なんてないくせに 信じていたんだ あー 打ちのめされて あー はいつくばって 生きるのは苦しむこと もう二度と夢なんて見たりはしない それからなんだよ人生は 足を地につけて歩むのさ よみがえれよ地の底で 魂をもやして 世界をひっくり返すんだ それがオレの使命なんだから オレ

          私はこう生きる

          「君たちはどう生きるか」という作品は、「私はこう生きた」ということが言いたいのだ、と以前書いたことがある。それは吉野源三郎さんの本であろうと、宮崎駿監督の映画であろうと同じことだと思う。 私自身そのことに共鳴して、同名のタイトルで作詞(替え歌)を試みたり、エッセイを書いたりした。(エッセイの方は倉敷市文学賞に応募。落選が判明すればnoteに公開予定)だから、その作品の出来栄えがどうあろうと、作者の気持ちがわかるのだ。 ところで、「君たちはどう生きるか」という質問に対する答

          私はこう生きる

          君の名は

          出会えたのは偶然? 君がここにいるのは 違うよね そんなはずない 君はここに立って だれを待っていたの? 僕は君 ずっとさがしてた 君が僕を呼んで 僕は君のところへ 君と出会ったときに 僕は気づいていたよ 君は僕が好きだ それはわかるけれど わからない どうしてなのか 僕は君が好きだ わけなんていらない 言わないで 君もだなんて 君は僕の何で 僕は君の何だろう? 君に出会うために 僕は生まれて来たんだ そう 君はここにたたずみ 僕が来るのを待っていたと それうそだ

          君の名は

          逆刃刀(さかばとう)

          なにげないひとことに 傷つくのはもうやめて みなだれも君のこと 笑ってなんかいないから 君の心 逆刃刀(さかばとう) 自分の心を傷つける さやに差して飾るほか 使い道などありゃしない 真珠をこさえる 貝の痛みさえ 君にはきっと 分かるはず ドアを開けて踏み出そう 君が歩けば道になる まばゆい陽射しが射し込んで 君の歩みを照らし出す 真珠をこさえる 貝の痛みさえ 君にはきっと 分かるはず ドアを開けて踏み出そう 君が歩けば道になる まばゆい陽射しが射し込んで 君の歩み

          逆刃刀(さかばとう)

          栄冠は君に輝く

          太陽の黄金(きん)の光を 身にまとい こぶし突き上げ 青空に 響く雄叫び よろこびを 全身(からだ)で示せ 栄冠は 君に輝く 遠き道 歩み来たりて 振り向けば 高き峰々 血と汗を 涙に溶かせ ふりしぼる 最後の力 栄冠は 君に輝く きらきらと 吹く風のように 颯爽と 駆け抜けてゆく 道を行く 人が手を振る 応えては 君も手を振る 栄冠は 君に輝く       原曲は 岡山県立玉島高校校歌          作詞 山本雅一          作曲 岡本敏明        

          栄冠は君に輝く

          学校の怪談   -ほんとうは怖い「運命の出会い」-

          きみが ぼくのことに夢中に なってくれたわけは おそらく ぼくがきみを好きと 気づいたからだろう どうやって きみが知ったか わからないけれど それから ぼくのことをずっと見ていた そのころもうきみにはつきあっていた 彼がいたわけで その彼に 不満があったわけ じゃなかったはずだ ただなんとはなく 過ぎるばかりの なりゆきにまかすのに きみはぼんやりと 不安を感じていたんだ 白馬の王子は 現れなかったけれど きみの思いどおりになりそうなぼく これはきっと 運命だろうなんて

          学校の怪談   -ほんとうは怖い「運命の出会い」-

          世界の中心で愛を叫ぶ

          あなたは私見つめ 「好き」と言ったの 想い出よりも それは 淡い 夢かもしれない 過ぎゆく時は 微風(かぜ)の 微風(かぜ)のようだわ こころをそっと なでる あなたは今どこに? 出会いと別れ 繰り返すたびに あなたを想う 日々の暮らしと 夢の中の出来事 現実(ほんと)はどちらなの 揺れてる 愛の花 世界は広く 花は 森に 埋もれ 命の灯をともす ただあなたのため 空を見上げて 叫んでみても 届かないから ここにいつまでも こころ込めて咲いている あなたがくれた夢

          世界の中心で愛を叫ぶ