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令和還暦

 今年五月新天皇が即位し、「令和」という新時代を迎えることとなった。我々国民はと言えば、まるで新年を迎えたかのような祝賀ムードに染まっていた。平成のように喪に服することなく始まった令和には、人々の希望を包み込んで明るく平和な時代を現出してもらいたい、そんな願いが込められているようである。

 ちまたでは、令和の「令」は、「命令の令」だから違和感があるという意見も多く見られた。確かに「令」には、「命令する」とか「法律」とかの意味があり、成り立ちとしては「冠をかぶってひざまずく人」である。これらの服従するイメージが嫌だというわけである。しかし、考えてみれば、これらのイメージは「混沌」や「反抗」の対局にあるイメージである。だからこそ、「美しい」のであり、「よい」のだと思う。「自由」には「責任」が、「権利」には「義務」を伴うように、「平和」にもそれを支えるだけの負担が必要なのではないか。そんなことを考えた新元号である。

 そもそも「元号」が法制化されたのは1979年のこと。我々が大学生のころには、政治に関心のある学生たちが法制化に反対してビラを配ったり、集会やデモをしたりしていたと記憶している。もっとも、団塊の世代による全共闘などはもはや過去となり、シラケ世代で大学はレジャーランドだと言われはじめたころだから、それらのこともつましいものだったと記憶しているが。

 そんな時期に大学生活を送った我々も、この令和最初の年に還暦を迎えることになる。飲食・宿泊業についで離職率の高い教育産業で身を立てている私も、この誕生日で定年退職である。学校のように「みなし」ではないので、年度の途中であろうと容赦はない。よって、必然的に再雇用で再スタートを切ることになる。同期生や同級生のような出世はかなわなかったので、日々暮らすのに精一杯ではあるが、それでも、この令和元年の還暦に何か新しいエネルギーのようなものをいただいたように思えるのは気のせいではあるまい。竹のたとえではないが、節目になる時は大切に生きなければいけないとも思う。

 「よき敗者たれ。」(Be a good loser.)これは、私の勤めている会社のスローガンのひとつである。「負けが前提なのはおかしい」という批判もあるが、「七転び八起き」と似たような意味だと考えれば、人生の教訓として座右に置いてもおかしくはないと思う。昔の歌もにあった「後の態度が大事」というやつだ。ともかくも、令和初の還暦祝賀会。自分が祝われるときだけ参加するという厚かましさには耐えかねる。ならばいっそ、この言葉を自分自身に贈って祝っておこう。

          岡山大学空手道部広報誌「押忍」(2019年発行)に掲載

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