見出し画像

ダイニングテーブル

涙は女の武器だと言うけれど、それは諸刃の剣であるのでしょうね。

私、あなたが、自分の目の前で泣くような女を嫌いだって、知っているのよ。だけど、溢れてこぼれて、とまらないの。
これで、あなたと戦おうなんて思ってもいないわ。
むしろ、私は、私自身は、涙なんて流さずに冷静に話をすることを望んでいるの。

私、涙を武器だなんて思ったことない。だってそんなの情けないもの。だけど。こんなに泣いてしまっているんじゃ、こんな気持ちはきっと、あなたには伝わっていかないのでしょうね。

私、あなたが特別冷たい男だとは思わない。素直で優しい人よ。他の男の人だって、きっと、涙を武器にする女なんて嫌いだと思うわ。泣いているほうは決してそんなつもりじゃないのだけれど、男の人は、女が泣くつもりがなくても泣いてしまう仕方なさを、きっとわからないのでしょうね。だからそっと私たちから、視線を外すのよ。

他の男の人はあなたとは違って、そのとき感じている気持ちをストレートに口にはしないわ。多くはね。
だけどあなたは素直な人だから、思っていることを言葉にしてしまうのよね。
そして、あなたは素直な気持ちが口をついて出たあとに、それが優しい言葉ではなかったことに気付ける、優しい人よ。

私は、泣きたくなんてないから、涙を止めようとして、唇を噛み締めてみるけど、そのせいで、余計に喋ることが困難になってしまっているの。
伝えたい言葉があるのだけれど、声にできなくて、だから、私の気持ちはあなたには届かない。

ねぇ、こうして、なにも言えなくてごめんなさい。
だけど、自分の中でとどまったままの言葉に、私自身が返事をする、やりとりが、涙を流したままずっと今もループをしているの。

いさかいのきっかけは些細なことだったわね。改めて口にすると、まるでばかみたい。

夕食の用意が遅れて、あなたから急かされたときに、「早く帰ってきたなら、簡単なものを自分でつくれば良かったじゃない」なんて、返すんじゃなかった。

「別にいいけど」
あなたがこう答えた時はまだ、私、少しイライラしたけれど黙っていられた。
「たまにはもっと手のこんだもの作ってよ」
そう続いた言葉に私が反発して、雲行きは急にあやしくなったわ。

疲れていたの。今朝というわけじゃなく、なんとなくずっとね。だけど、私べつに大変な毎日を送っていたわけでもないわ。だから、自分が怠けているだけなんじゃないかと、嫌だったのよ。疲れていることが、たかが、あなたの食事を毎回作ることくらいで。

夕飯のメニューが思い浮かばないのよね。
お昼は、決まった内容のお弁当をつくればいいのだから、平気なのだけれど、夕食は毎日変化がなければいけないじゃない。それを考える時間、作る時間、あなたの帰りをはかって温め直す時間、それで私、最近の生活を支配されてた。

こんな言い方をしてごめんなさいね。お料理をするのが嫌なわけじゃないの、あなたも遅くまで働いて、疲れているのだから、私が支えなければいけない部分があることは分かっているわ。
だけど、私、本来的に、あまりそういう気持ちになることに、向いていないみたい。人のためを思ったり、人に尽くしたいと思ったりすることにね。
自分のことが最優先なのよ、私。
あなたは私のために日々の時間を使ってくれていないのに、私はあなたの時間軸に従ってスケジュールを立てなきゃいけない。そんな風にあなたに私の生活を支配されることが、嫌だったのね、きっと。

あなたが私のためになにもしてくれていない、なんてそんな言い方は、驕りだとも思うわ。あなたは感謝の言葉をかけてくれるし、外で懸命に働いてくれていること自体、ひいては私のため、でもあるのでしょうから。
私のため、そんな言い方も驕りかしら。ふたりの生活のため、あなたはおそらくそんな風に考えることのできる人よね。だけど、私はきっと違うの、そこが良くないことよね。だから「支配」なんて言葉をさっき、私は使ってしまったんだと思うわ。

私も仕事をしているじゃない。あなたほどの大した仕事じゃないけれど、週に四回、外に出てるわ。私ね、あなたと暮らすまでもその生活をしてきて、今まではそれだけで、手一杯だった。
たった週四日の勤務でよ。学校もクリニックもそんなに勤務時間が長いわけでもないのにね。きっと、人よりも能力が低い人間なんだと思う、私。

生徒さんや、クライアントさんと話をしているとき、どうしてこんなことでこの人は悩むんだろうと、申し訳ないけれど、思ってしまうことがたまにあるの。
カウンセリングルームで聞く相談には、ほんとうに色々なものがあるわ。

以前に受け持った二十代半ばの女性は、家族間のトラブルや恋人との関係で精神的にダメージを負って、クリニックのカウンセリングに通い始めたそうよ。

彼女はその当時、心身共に病気をしていて、失業中でもあった。その彼女が私に打ち明けたいちばん苦しんでいる悩みというのがね、
「手芸をする時間がなくて、苦しい」
ということだったの。
趣味で、レース編みをしているんですって。私、彼女の考えていることがよく分からなかった。
だって、苦しいことなんて他にたくさんあるじゃない、家族との確執や、恋人の裏切りや、経済的な問題や、今後の不安だって......。それなのに、手芸よ?
レース編みができない、なんて、その中で最もたる悩みになるのかしら。
私、彼女少しズレてるって思った。

もう四年も前の相談だわ。それで、私、これまでずっと、彼女は少しズレてるって思ってきた。不思議な人、世の中にはいっぱいいるもの。その中のひとりね。
だけど、私、今、彼女の苦しさが、もしかしたら......分かるような気がするの。

私、自由律句サークルを主催しているじゃない。そう、毎週第二土曜日の二時から巣鴨の喫茶店で会合を開いている「さわやかホリデー」。
私の作品なんて、コンテストに出したところで、一次審査にも引っ掛かりはしないけどね。最近は......あまり出していないけど......。自由律句を詠む時間がなかなかとれなくて。......いいわけかもね。今だって、仕事や食事の支度の合間に、作ろうとすれば時間は作れるんだと思うわ。睡眠時間を削ってもいいのだろうし。というか、本気で自由律句を詠みたいのなら、そうでもしないと、時間なんてできないものね。私だけじゃなく、誰だってそうよね。これまでだって、そうしてきたもの。

今までと、違うのはね、俳句を詠もうとしている間に、夕飯のメニューを考えなければいけない時間がきてしまうことなの。私のタイミングではなく、それを進めなければいけないってこと。
そうするとね、せっかく浮かび上がってきそうだった言葉たちを拾い上げることが、ホイコーローの材料をピックアップする作業に中断されてしまうの。
そういうことが、ずっと続いてしまうのよ。
時間を区切って、手際良く、効率的にできれば、こんなことで悩む必要はないのでしょうけれど、私には難しいみたい。こんなのって甘えているかしら、やっぱり。

私、あなたのこと大切よ。それで、自由律句を詠むことももちろん、私にとっては大切なことなの。
だけど、それは彼女の手芸とまったく同じね。
まわりから見れば、ただの趣味のようなものだわ。まったく無為なものかもしれないわよね。
だってそんな、何にもならない、実益のない、自己満足でしかないものを、生活と同じ天秤に乗せているんだもの。馬鹿みたいだって思われるかもしれないわ。いいえ、私が他人ならきっとそう思う。

才能がないとか、そんなことはどうでもいいの。なくてもあっても私が俳句を詠むことには変わりないわ......そうね、本心から、ないと思っているなら、そもそも詠んではいないかもしれないけれど......どこかできっと、疑っていないのね。
私、自分には、いい句が詠めるんじゃないかって、思ってる。誰かの心を楽しませられるようなもの、その句と出会えて良かったと思ってもらえるようなもの。

それはすべて、私の幻想なのかもしれないわ。希望ね。妄想ね。実際には、ホイコーローのほうがずっと喜ばれるのだと思う。
そう思っているけどね、私は妄想かホイコーローかどちらかを選ぶつもりはないの。
天秤の傾きは、その時々によって違っていいのだと思ってる。思ってるけど、悩むのよ。それに、傾きを決めるのは私の意思ばかりではないわ。どんな風に変化をしていくか分からないものだと思う、それって。
天秤にのっているのは、左右どちらとも、生き物みたいなものよ。呼吸して、まばたきして、痩せたり太ったりする。
機嫌が悪くてそっぽを向くこともあるし、抱きしめられることを望んでいる日もあるわ。
私、どちらも大切よ。

今はね、片方の可愛い子が、私の手を必要としているときなのね。もう一人の可愛い子はうとうとしているけれど、少し刺激を与えたら起きて泣き声を上げてしまうかもしれないから、私は起こさないように、慎重にしていなければいけないの。それは少しストレスがたまるわね。だけど、女の人なら、うーん、もしかしたら、性別に関わらず、誰しも、そうしていきながら天秤の具合に気を付けているんじゃないかしら。

手芸の彼女は、いつの間にかカウンセリングにはこなくなったわ。そういうクライアントは決して少なくないの。
それは良いことでも、そうじゃないことでもあったりする。
どうしているのかしら、彼女。どうして私はもっと、気持ちに寄り添ってあげられなかったのかしらね、あの時。

人の悩みなんて言葉にすればくだらないものよね。だけど、本当につらい気持ちは、言葉になんてなるのかしら。
物語を話して聞かせるように、すべてのいきさつや、想いを、目の前の相手に伝えられる人なんて、いるのかしら。 そんなことができるだなんて本気で信じている人は、きっと、物語依存症なのだと思うわ。病気よ。この世界に、そのすべてに、意味があるだなんて、思っているの。私の言葉や、夕暮れに駅前の大きな木でひばりが一斉に泣くことや、安居酒屋のカウンターでビールのグラスを倒してしまうことにさえ、意味を見出してしまったりするの。そんなことに意味なんてないし、想いを言葉にしたってそこにある気持ちが相手に伝わるかなんて分からないのにね。少なくとも、私にとっては、そうよ。だって私は今、手のこんだ夕食って一体なにを作ればいいのか分からなくて、こんなことで、ばかみたいに泣いているのよ。

この記事が参加している募集

自由律俳句

サポ希望