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政治(防衛)講座ⅴ573「武士道・騎士道に通じる海軍魂」

歴史は繰り返される。盛者必衰が繰り返されるのである。
歴史上最大の帝国
1.大英帝国-3550万km2
2.モンゴル帝国-2400万km2
3.ロシア帝国-2280万km2
4.清王朝-1470万km2
5.スペイン帝国-1370万km2
今、ウクライナ侵攻したロシアの命運ももう少しである。一帯一路で世界制覇を目指した中国も不動産バブル崩壊、金融破綻の状態に落ちり、ウイグル人などの他民族への弾圧も露呈して今後の発展は期待できないであろう。
今、意気揚々としているのは、「自由・民主・人権」を旗印に結束しているメンバーの面々である。海上自衛隊の国際観鑑式に参加ありがとう!「敬礼!」

         皇紀2682年11月8日
         さいたま市桜区
         政治研究者 田村 司

えっ空母「ロナルド・レーガン」も?「国際観艦式」海上自衛隊が20年ぶりに実施

乗りものニュース編集部 2022/11/07 06:12

遠くはパキスタンからも参加

 海上自衛隊は2022年11月6日(日)、岸田 文雄内閣総理大臣や浜口 靖一防衛大臣らを招いて相模湾沖で観艦式を実施しました。今年は海上自衛隊創設70周年の節目の年であるため、20年ぶりに「国際観艦式」という形で外国艦船も多数参加していたのが特徴です。

【潜水艦やP-1、US-2の訓練展示ほか】国際観艦式の一連の様子をササっと


© 乗りものニュース 提供 相模湾で行われた
国際観艦式の様子(深水千翔撮影)。


 そもそも、海上自衛隊は1952(昭和27)年4月1日に発足した「海上警備隊」が前身となります。当初は海上保安庁の下部組織という位置付けでしたが、4か月後の8月1日には「警備隊」として海上保安庁から独立、保安庁(現防衛省)隷下へと移管されました。そして、2年後の1954(昭和29)年7月1日に海上自衛隊として改組・発展し、現在に至っています。

 海上自衛隊が初めて観艦式を実施したのは1957(昭和32)年のこと。また創設50周年となった2002(平成14)年には初の国際観艦式が実施されています。それから数えて今回は2回目の国際観艦式となりました。

 参加艦艇は海上自衛隊から19隻、海上保安庁から1隻、オーストラリアやカナダ、インド、パキスタンなど12か国から18隻の計38隻。なお、当初はイギリスからも1隻が参加する予定であったものの、低気圧の影響で来日できず、こちらは参加を断念したとのことでした。

 また、観艦式には名を連ねていなかったアメリカ空母「ロナルド・レーガン」も、付近を航行していたということで姿を見せ、短時間ながら並走していました。

ブルーインパルスが飛行展示を実施

 航空部隊については海上自衛隊のP-1哨戒機を筆頭に、陸海空の三自衛隊が運用するヘリコプターや飛行機が飛行。V-22ティルトローター機やC-2輸送機、F-35A戦闘機は観艦式初参加でした。それに続いてアメリカ軍のF/A-18EならびにF-35Bの両戦闘機と、フランスから参加したファルコン200哨戒機が航過していきました。


© 乗りものニュース 提供 相模湾で行われた国際観艦式の様子。
参加艦船ではないものの、途中でアメリカ空母
「ロナルド・レーガン」も姿を見せた(深水千翔撮影)。


 目を引いたのは、陸上自衛隊所属のV-22が2機編隊で参加していたことです。加えて同機は日本語では「ヴィーナス」、英語では「Osprey(オスプレイ)」と別々の愛称で紹介されていました。

 その後行われた訓練展示では、潜水艦の潜航・浮上やP-1哨戒機による赤外線欺瞞装置「IRフレア」の連続射出、そしてUS-2救難飛行艇の洋上離着水が披露されたほか、航空自衛隊のアクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」による飛行展示が行われ、秋晴れの相模湾の空に白いスモークでさまざまな模様を描いていました。

 こうして一連の観閲・訓練展示を見届けた岸田総理大臣は、観閲艦「いずも」の格納庫において訓示し、「ロシアによるウクライナ侵略」や「北朝鮮によるICBM級を含む弾道ミサイルの度重なる発射」に触れ、「力による現状変更の試みは世界のどの地域でも許してはならない」として対話による国際秩序の構築を追求すべきと述べる一方、武力行使や威嚇に対抗するため、今後5年以内に防衛力を抜本的に強化するとも明言していました。

下記ブログは再掲載です。

政治(歴史)講座ⅴ384「戦艦ミズーリと神風特攻機。 涙が止まらないお話」|tsukasa_tamura|note

日本人にとっては涙が止まらない話がある。それは1機の神風特攻機が祖国を守るために命をなげうったことです。それと敵である戦艦ミズーリの艦長の計らいで丁重に弔われた事である。

1945年(昭和20年)4月11日、1機の神風特攻機が上記の戦艦ミズーリに向けて突入、右舷船尾付近に衝突した。右舷にがその追突跡が残っている。当時の館長はその神風特攻機の操縦者を正式に(旭日旗に包んで)水葬式を全鑑を上げて実施し、武勲を称えた。

特攻機が積んでいたはずの爆弾は、それまでにすで投下されていたためか、爆発することはありませんでしたが辺り一面は炎に包まれました。乗員たちによってその火もすぐに消し止められました。火災の後、乗員たちがデッキの上で発見したのは、この特攻隊員のご遺体でした。勇敢に自分の使命を全うしたその行為に敬意を表し、艦長は水葬を行う命令を出した。水兵たちは日本の軍艦旗を徹夜で縫い上げ準備をし、翌朝多くの乗員が参加して水葬が行われ、ご遺体は海に静かに戻されました。
 具体的には、特攻攻撃で激突し、零戦のキャノピーを突き破って上半身だけミズーリの艦上に飛び込んできた石野二飛曹を、ウィリアム・キャラハン艦長祖国を守る勇敢な軍人として、五発の弔銃で弔い水葬にしたそうです。

敵艦に突入し氏名が判明した神風特攻隊員

平成14年10月 8日

ミズーリ突入

昭和20年四月11日喜界島南方で戦艦ミズーリ(USS Missouri BB-63)の右舷後部に突入した特攻機は機体の型式および突入時刻から下記石野少尉、または石井少尉と判定される。神風特別攻撃隊神雷部隊第五建武隊(隊長矢口重寿中尉)の零戦五二丙型16機が同日1215鹿屋基地より発進し13機が突入した。その第四班より「1439敵見ユ」「1441敵機発見」と打電。(突入発信はない)ミズーリの日誌には「1446二機目接近」と記録されている。他の同日出撃した各隊各機は1334-1410の間に別の海域で突入を終えていた。
石野節雄 二等飛行兵曹(当時)  乙(特)飛 19歳 岡山県和気町  没後少尉 四班第4番機
石井兼吉 二等飛行兵曹(当時)  乙(特)飛 22歳 千葉県松戸市 没後少尉  四班第3番機
 ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン大佐は翌日、乗員大半の反対を押切り、ただ1人の遺体に対して水葬礼をおこなった。
その五六年後の平成13年4月12日、真珠湾ミズーリ艦上の神風機突入の損傷が残る後甲板で、第五建武隊遺族および米海軍軍人のキャラバン艦長長男ほか日米双方が参列し、儀仗兵が弔銃を発射して追悼式が施行された。
調査者
①エドウィン・カワハラ氏 (ハワイ在住二世)
②佐藤健輔氏(ハワイ在住、元・戦艦武蔵乗組水兵)
③可知 晃氏       (藤沢市在住)
ミズーリに特攻機が超低空で接近し命中、白煙次いで爆発の黒煙があがる光景を撮影した16ミリフィルムが残っている。この経緯をNHKが「神風特攻隊・ミズーリ突入の軌跡」として平成13年8月3日衛星第一放送で放映した。

My opinion

宗教などの違いがあれど、人間としての弔いの精神に感動・感激した。
観光旅行にハワイに行ったら、常夏の行楽地に浮かれることなく、日本兵が生死をかけて戦い命を落としたことを知るべきであろう。
パラオ諸島にも3年前に行ったが、そこにも、日本兵の英霊が眠っていた。

今の平和の礎となった英霊に改めて安らかに眠らんことを願う。

どんとはれ!

参考文献・参考資料

えっ空母「ロナルド・レーガン」も?「国際観艦式」海上自衛隊が20年ぶりに実施 (msn.com)

政治(歴史)講座ⅴ384「戦艦ミズーリと神風特攻機。 涙が止まらないお話」|tsukasa_tamura|note

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帝国の最大領域一覧 - Wikipedia

画像ギャラリー | えっ空母「ロナルド・レーガン」も?「国際観艦式」海上自衛隊が20年ぶりに実施 | 乗りものニュース (trafficnews.jp)

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