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積極的に人とつながることが正義とは言えない理由。

地域おこしをやってたときに「コミュニティ」という言葉をよく聞いた。

「地域コミュニティをいかに作っていくか」というものが地域おこしの命題のように取り上げられ、それこそが一番のキモだ!みたいに言われていた(今でもそうかな)。

地域おこし協力隊という仕事は総務省管轄の事業で国の政策の一つだったので、各協力隊はほとんどの場合、それぞれの地域の役所に配属されるんだけど、僕のデスクも役所にあった。

役所が進めようとしている地域作りのサポートを、役所という公的機関ができないやり方=クリエイティブで解決する。

そのために、自分自身が地域住民となり、地域住民として感じること、問題を見定める。

いわば役所にも地域にも属しながら、その間に立ち、双方のやりたいことをマッチングさせるような仕事をしなければならなかった。

このとき25歳だったかな。

生まれてはじめて「地域」というものに触れた。

結局「地域」というものが何なのかは今でもよくわかってないんだけど、「地域」とか「地域コミュニティ」という言葉は、そこに住むすべての人々、子供からお年寄りまでをさす言葉ではなく、地域づくりに参加している少数の人を指す言葉だと思っている。

ほとんどが60代オーバーの方々で、40、50代の方がちらほら、30代が一人二人いるかどうか、各地域多くて2、30人くらい。(地域で商売をしている人、定年を迎え地域のお世話をする時間のある人、PTA等で役職についている人など)

その中に、お給料をもらいながら地域活動をしている20代の僕。

楽しいと思うこと、好きな音楽、好きなファッション、食べたいもの、休日の過ごし方、自分がやるべきこと、やりたいこと、逆に、つらいこと、問題視していること、解決すべきだと思っていること、

そういった価値観がまるで違う人たちの中で、僕の考えているものは絶対的に少数意見で、僕の考える幸せは彼ら、彼女らの幸せにはならない。

だから意見を押し殺して、周りに合わせて、彼ら、彼女らが考える幸せ像に「なるほどですね!」「いいですね!それ」「面白いですね!」って相槌を打つ

のがめんどくせーって思ったから、僕は地域コミュニティとは関係ない場所で生きることにした。

もともと地域とかコミュニティとかって、それがないと生きていけない、生きづらい、あったほうが生きやすいから存在していたもので、現代においてそんな機能は(若者にとって)ほとんどなく、ただただ時間と労力を奪われるものでしかない。

サロンとかセミナーとかコワーキングスペースとか

そうすると20代、30代、40代の人たちはサロンとかセミナーとか、コワーキングスペースなどにつながりを求めだす。

僕もかつてはそんなところに行きまくっては、名刺交換とかFB交換とかして、つながりとかコミュニティへ帰属しているという意識みたいなものを買っていた。

が、これもやっぱり考えてみると、今残っているものってほとんどなにもない。

地域コミュニティとは違って、周りが同じ年代、近い年代になったからと言って、楽しいと思うこと、好きな音楽、好きなファッション、食べたいもの、休日の過ごし方、自分がやるべきこと、やりたいことは人それぞれ違う。

価値観が違うもの同士が一つの空間に居合わせるとどうなるか。

なるべく人に嫌われないために、「同調」が起きる。

面白いと思ってなくてもなるほどぉって頷いて、すごいと思ってなくてもすごぉい!って驚いて、そのうち自分の本音も言えなくなって、それがいつの間にか自分の考えみたいに勘違いするようになって、何者でもないモブな人間が増える。

もちろん、まだ出会ってない人と出会うことは刺激になるし、自分と違う考えを持つ人がいると勉強になる。

でも、その出会いがすべて正解とは限らないし、往々にして出会いの8割、いや9割以上は何でもない出会い、自分のプラスにならない出会いなんじゃないかって思う。

つながりとか、出会いとか、そこに化学反応が起きるだのと、何かと新しい人と出会うことを積極的に推す風潮がある。家に引きこもっている人間に対する風当たりが強いのもそういう背景があるからだろう。

もちろん全く人と会わないのはどうかしてるし、それは人間としてつまらないと思うけど、積極的に人に会おう、会おうとしている人が薄っぺらく、つまらない可能性は同じくらいあるんじゃないかって思う。

本当につながることはマジで体力使う

この前、親友と呼べる人間に自分が考えていることを伝えようとしたところ、3時間くらいかかった。

べつに彼を説得しようとか、論破してやろうとか、そういう話じゃなくて、ただ普通に自分が考えていることをそのまま伝えたかっただけなのに、なかなか伝わらなかった。

そのくらい、自分をそのまま伝えるということ、それを理解してもらうということには労力がかかる。

その時間も労力もかけずに人とつながることはできないと思うし、つながっても新しいものは生まれない。

有名人のサロンとか、スキルある人のセミナーなんかは、その背景を共有していたり、一方的に聞いてるだけ、一方的に参加しているだけだったり、そもそもその人の能力とかカリスマ性がなせるわざだったりするので、一般の僕らがそれをまねしてみてもつながりのようなものがそこにはあるだけで、何も生まれないんじゃないかと思っている。

ただ、つながることを否定はしない。

地域とか、コミュニティとか、そういう形で薄く広くつながるのはやめにして、狭くても濃く、深く、何かを生み出せるようなつながりを作りたいと思っている。

UNIカフェ2号店はそんな場所にしたいと思いながら、今日もDIYでリノベ中。

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