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始まる前からlow keyだった場所で

小学生の高学年あたりから卒業するまで、私はそろばん塾に通っていた時期がある。

別段自らそこに通いたいという確固たる意志があったのではない。たまたま両親が共に小学生だった頃そろばん塾に行ってたという理由で、当時何も習い事をやっていなかった私に「行ってみたらどう?」と声をかけられて通い始めたのが始まりである。

当時通っていた教室は、実家から歩いておよそ10分、自転車で行けば5分のところで行ける所にある。

ただ、雨が一日中降り続いている時や、冷たくも強い風が吹いていたりする日などといった、自転車を動かせない日には決まって親に車で送り迎えしてもらっていた。 

そこで週に2、3日のペースで通い続け、1日に1、2時間ほどかけて課せられたノルマをこなし続けていた。

一通り終え、室内に「パチパチ」というそろばん特有の珠を弾く音が児玉している塾を後にすると、近くにある緑色の公衆電話が設置された電話ボックスへと一人目指すのである。

全方位がガラス窓に囲まれたその場所にたどり着くと、財布の中からテレホンカード(以下略:テレカ)を取り出し、受話器を手に取ってカードを挿れ、自宅の電話番号に繋げるために特定のプッシュスイッチを押す。 

この当時はスマホは全く姿を見せていないどころか、携帯電話すら子供たちに持たせることを許されなかった時代の真っ只中だ。

外出先では公衆電話の前に立ち、持たされたテレカを使って連絡を取ることが当たり前であり、ほぼほぼその行動を繰り返していた。

とはいえわざわざそこに向かわずとも、塾の先生の自宅にある備え付けの電話を借りて呼び出すこともあった。ただ私は、日に日に気まずさを感じるようになっていたのである。

それに呼び出した後に親が来るまで教室で待つ間も、他の子たちは検定試験に向けての練習や勉強をしている。

このまま一人だけ、何もせずあるいは学校を宿題をやりながら待ち続けるというのも、少々居た堪れない気になっていた。

特にじっとしていることが苦手なのではない。かといって時間をうまく有効活用する手段はまったくといっていいくらい持ち合わせていない。

たぶんこの時から私は、誰かの目に留まるような一際目立つ行動は控えるよう、次第に心がけるようになっていたと、ふと考えていた。

行動するなら、ほとんどの視線が行き届きにくい場所で。電話ボックスならその中にいても、側から見れば「使用中なんだな」と一目でわかるだろう。

今の時期みたいに外が寒い中、電話をかけているフリをしながら迎えに来るまでずっと待つという手段もあったかもしれない。

だが小学生が一つの電話ボックスに閉じこもって長電話しているというのも、大半の人は滑稽に思えてしまいそうだ。

それも今の世の中なら尚更…って何を言っているのだろう。

今じゃ携帯電話はもちろんのこと、小学生でもスマホを持つのが当たり前の時代になってきた。同時に都内はおろか、私の地元でも電話ボックスの姿をあまり多く見かけることがなくなっている。

中学生で携帯電話を持ち始めて以来、私は電話ボックスに入って公衆電話を使うことを久しくおこなっていない。

そんな中で仮にその場所に再び立ち入ったとして、いったい私は誰に対してどういう話を切り出すのだろう。

そしてもしその姿を見ている人たちは、いったい何をどう思うのだろうか。

最後までお読みいただきありがとうございました。 またお会いできる日を楽しみにしています!