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誰にも染まらない曖昧な黒

仮の話、あくまでも仮の話だ。

もしも、フォロワー数を上げるためには、スキを増やすためには、そして全体ビューの数を多くするにはどうすればいいか、などと誰か一人でも尋ねられたとしよう。

それ以外に、毎日欠かさずに記事を投稿するにはどうしたらいいか、何か秘策や秘訣はあるのかと、いろんな人から質問されたと想定してみよう。

といった具合で、少しだけ俯瞰の視点から自分の立ち位置を眺めてみても「いや、わからないですねぇ…」と、私はお茶を濁すように返す言葉しか見つからない。


未だに、数字を稼ぐことについて無頓着な部分があるかもしれない。自分が綴っている文章が綺麗に纏まっている自信はおろか、知名度においてもそこそこ名の知れている人物だなんてことは微塵にも思っていない。 

だからこそ、多くの方々があげている「振り返りnote」として各々の数の紹介であったりを見ていると、思わず納得せざるを得なくなってしまう。

多くの人々に見られているのは、多くの方々にフォローされているのは、そして多くのスキを集めることができているのは、その人自身に「素敵」という単語だけではまとまりきれないほどの魅力が詰まっているからだ。

私自身も以前までに、著名な方々の記事やそこに含まれる数多の文言を参考にしながら、タイトルをはじめ幾つかの箇所を真似してみては、自分なりの言葉に変えて落とし込んできたつもりである。

この先も、自分の知らない多くの文学や世界を出会っては、再び多くのことを学ばさせてもらうことになるかもしれない。


とはいえ、こうして一つ一つ記事を投稿していくことで、自分は他人の一から十までの全てをコピーすることはできないと、身をもって思い知らされるのだ。

野球などのスポーツで打つときあるいは投げるときのフォームや、ピアノやギターを演奏する際の弾き方などあるように、此処noteでは個性に満ち溢れた人が、それぞれの特徴や魅力を持って綴られた記事が無数に存在している。

もしそれを表面のみならず、中身まで丸々再現できたとするならば、その人物はある一種の才能の持ち主として、世間から持て囃されることになるだろう。


今からその路線に方向転換してやろうとするならば、たちまち自分の望んだ通りに道が開けるのかもしれない。

しかしその先には、各々の数字にしか拘りを持たない一人の化身と成ってしまう末路が待ち構えているのではないかと思うのだ。

同時にその値が良くも悪くも足枷となり、ひたすら数を追い求めるためにしか意味を見い出せなくなる。

そう考えた時、私にはもはや数字のような言葉でしか語ることができなくなってしまうのではないか、ということに一つの恐れを抱いている。


ただ少なくとも、こうしてほんの少し空を仰ぎながら意識して書いている以上、そこから遠く離れた雲の上の存在のような人には到底なれやしないだろう。

万人向けしないとわかっていながら行動に移すことが、側から見てどれほど愚かなことであるかにせよ、どんな色にも染まらない黒として、自分は自分であるがままに言葉を綴っていくだけである。



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