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好きなひとと似てるひととの、春の別れ


永遠にこない別れなどないのだから、一日一日が別れに向かって進んでいくのは当然のことなのに、どうしてすぐぼんやりとして、そのことを忘れてしまうのだろう。


ちょうど一年ほど前、記事に書いた美容師さんが、来月シンガポールへ旅立つ。


外国で働いてみるのが長年の夢だったそうで、疫病の影響でここ二年ほど延期にしていたけれど、このまま年齢を重ねると挑戦ができなくなってしまうからと、今月末での退職を決意したとのことだった。

先月それを聞いた時、天からゴルフボールが落ちてきたみたいな衝撃だった。いなくなるなんて、思ってもみなかった。


***

昨日が、彼女にお願いする最後の美容院の日だった。

なんとかぎりぎりとれた予約。
今月末までの彼女の勤務日は、予約で完全に埋まっていた。
彼女の人柄と腕に魅了されていたのは私だけではなかった。

可愛らしくて、明るくて、ガッツがあって、気取らない。
さりげない気遣いがありつつも、クールでさっぱりしていて干渉はしない。
そのバランスにいつも惚れ惚れとしていた。

とはいえ、お客のひとりに過ぎないし、きっと片想いに違いない。
想いがオモいと迷惑かも……みたいな思考回路にいつも陥り、さらりと別れようとするくせがあるから、最後に何かプレゼントか手紙でもとも思ったけれど、やっぱり手ぶらで行くことにした。

最後ですね、と言い合いながら、時間が流れる。

いつもならアシスタントさんが担当するシャンプーを、昨日は彼女がやってくれた。丁寧に、とても丁寧に。
緩急、力の加減、お湯の温度、押すツボの場所。
どれも完璧で、心地よい。

シャンプーを終え、カット台に案内されると、
「今日はみなみさんの最後のシャンプーだから、心を込めて、やらせていただきました」
と彼女が言った。目が少し赤かった。

つられて泣きそうになった。

それから、お互いに猫が好きなこと、海外での生活のこと。
初耳の話に花が咲く。
美容院ではひたすら雑誌を読むのが好きだったし、彼女もそれをよくわかってくれていたから、雑談は少ないほうだった。
別れがくるなんて考えは、頭の隅っこにもなかったから。


黒豆茶を、やけどせずに飲めるようになったのに。
アイピローの心地よさも覚えたのに。
そこに行けば、いつでも切ってもらえると思っていたのに。
いつでも会えると思っていたのに。
別れはやっぱり、寂しい。


***

お店を出るとき、彼女は私に小さなお菓子と手書きのメッセージカードをくれた。その瞬間、封をしていた気持ちがあふれだしてきた。

お人柄が大好きだったこと、頼りにしていたこと、たくさんの感謝など、うまくまとまらないながらも、自分の気持ちが口からどんどん飛びだした。

義姉に似ていることも伝えた。
どちらにいらっしゃるんですか。大阪ですか。なかなか会えないですよね。

知り合いに似ているなんて言われるのはどんな気持ちになるだろうとかなんだとかいう私の一年前のごちゃごちゃとめんどくさい考えなど一瞬で吹きとばしてしまうかのような爽やかな笑顔で、うれしいです、と彼女は言った。

昨日最後の客だったこともあり、名残惜しさでなかなか階段を降りることができない。彼女と私は互いに何度も、目を赤くしながら笑った。


じゃあ、またどこかで。
シンガポールにもぜひ遊びにきてください。
あ、みなみさん、インスタあります?
むこうでの生活もアップするつもりなんで!


え。なんと。まさか。
つながった。
別れを惜しんでいたけれど、どうやら今までよりも身近に感じられるかもしれない。なんてこった。

近所でまた美容師さんを探さなくてはいけないけれど、ひとりのひと、とても大切なひとにカタチを変えて新しく出会えたような、そんな不思議な気持ちになった。

彼女の前途が洋洋たるものでありますように。

春はやっぱり、別れと、出会いと、挑戦の季節なのだろう。きっと。






お読みいただき、ありがとうございます。




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