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優しさと同情について

こんにちは、月のうさぎです。
ひさしぶりの投稿です。

最近、ずっと仕事に気をとられていて、こちらの活動は少し休憩しております。ひさしぶりの、ゆっくりする時間があったので何か書きたい気持ちになり、投稿しております。

私は、やはり書くことが好きみたいです。無意識に、文章を打つのが癒しになっています。

ところで、「優しさと同情」って紙一重だなって思います。優しくしているつもりが、同情からくる優しさって私は重く感じます。

なぜ、同情が重いかといいますと、相手を下げずんで見ている感じがするからです。世の中に、上も下もないと思っています。そして、相手をしたに見たりすることって、依存のエネルギーを感じます。

同情から行う優しさは、「やってあげる」とか、「自分がしないと」みたいに、相手に押し付けている感じがします。それって、本当に相手のことをおもっているのかなって思います。

心底から相手を想うのであれば、その方の成長を促すような関り方が優しさかと思います。一瞬の解決できたとしても、また同じように対応してもらえる方がいないとその方は苦しい思いをします。それって、本当に優しいの?ましてや、同じ対応をしてもらえないと怒ったり。それは、依存を作っているだけかなと思います。

私は、優しくはしたいですが、同情はされるのも、するのも嫌です。相手の命を信じたいです。自分でなんとか出来ると信じたいです。時には、導いたりもしますが、道を切り開くのはその方の力かなと思います。その人が、その人の本当の力を知り、自分を受け止めていくことで自分らしさに気づけると思うんです。

依存していると、その人の本当の姿は見えなくなって行くんじゃないかな?って思います。みんな、人は一人一人の力があると思います。

時には手を差し伸べることは必要かもしれませんが、相手の未来にとって必要な、手の差し伸べ方が必要なのかなと思います。

見守ることって、難しいですがそれも愛の一つかなって思います。

ひさしぶりに心の内を書いたら、スッキリしました。

最後まで、読んでくださりありがとうございました。

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