子どもは親の自己肯定感を上げてくれる存在

ふと気がつけば、随分遠くまで来たもんだと思う。

離島留学という選択をして、縁もゆかりもない、誰も知り合いのいないこの土地で、息子と三人で暮らしていることは、まったく想像もしていなかったことで。

まだ子どもが生まれるよりずっと前に、海も山もある離島に住むことは、心の奥底にあるわたしの密かな憧れだった。
なかなか眠ることのできない夜には、目を閉じて、海が見える丘に建つ小さな家で暮らしている風景を頭の中に描き、そのまま夢に続けばいいなと願っていた。
夫にも言わない、わたしの中だけのこと。

だけど、現在、子ども中心の留学とは言え、期間限定とは言え、
なんとなくあの頃頭の中に広がっていた世界に近い環境に、自分がいることにびっくりする。
その夢を叶えることを思って行動してきたわけではないから。

§

自己肯定感も自己効力感も底辺だったわたしが、
12年前に母親になり、
母業は辛い労働だと思っていたはじまりから、母業を最高に幸せだと思えるようになったのは、息子たちのおかげで。
そんなふうに思えるようになったのは、きっとわたし自身の自己肯定感や自己効力感も随分上がったからだろう。
昔とは見える世界がぜんぜん違うのだ。

何年か前にカウンセラーの方から、
「子どもっていうのは、本来、親の自己肯定感をあげる存在なんだよ。」って言われていたことが、やっと、腑に落ちた。

子どもを通して見える世界。
子どもが連れてくるさまざまな問題は、本当に鏡みたいにわたしの深いところまでをも映してくれて。
それがわたしの深いところを映しているのだということを受け入れるのに随分時間がかかった。
そのころはわたしの周りには敵が多かったように思う。だって、全部外側の誰かのせいにしていたから。
自覚していなかったけど、分厚い鉄の鎧を着て必死で自分を守ってたんだな。

それが、最近になってやっと、随分時間がかかったけど、自分自身の蓋をしていたいろーんなものと、恐る恐る、時には泣いて、時には慰めて、色んな感情で溢れかえりながらみつめあった。
はぁ〜〜〜長かった。まだきっと2重の蓋してるのとかもありそうだけど 笑

そんな総精算みたいなことを、この今までの自分の環境から切り離された、全くの新しい環境がとても助けてくれたように思う。

noteに留学のことを書こうとおもった理由は2つあって、
まず1つはアウトプットが超絶苦手な私自身のため。
もう1つは息子が学校へ行けなくなって、未来が見えなくなったような気がしていた日々から、環境を変えたことで変化がおきたことを、同じような状況にある人の何かの糸口になればという思いからだった。

環境の変化は強制的になにかしらの変化を連れてくる。
その変化が良い変化なのか、悪い変化なのか、それは捉え方次第でどちらにもなるもの。良い悪いのジャッジを手放せば、その変化はなにかをおしえてくれたり、きっかけをくれたりするもの。

学校という場所に安心を得られなくなっていた息子が、いっぱい喧嘩しながら友達と過ごす日々は、良いことばかりではないけれど、かけがえのない子供時代を生きてるなって思う。
喧嘩してぶつからないように生きてきた私とは大違い 笑

今だって日常に問題はいっぱいあるし、凹んだり悩んだりもするけれど、
以前と比べたら、なぜだかちょっと落ち着いていられるわたしがいる。
あの力強く根を張るあの木にほんのちょっと近づけたかな。

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先日息子たちと海を散歩の途中、
子育てという旅は、どんどんわたしがわたしになっていく旅だなぁ、ふと思い、まだまだ旅の途中ではありますが、これからちょっとそんなわたしの凸凹な旅を残してみたいなと思っています。
教育の専門家でもない、ただの普通のお母さんの子育ての旅だけれど、
針の先で書いた小さな点くらいでも、誰かの役に立てたり、共感で繋がれたりできたら嬉しいなと思う。


mahalo

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