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肥沃な大地と聖なる木の島で思ったこと

ここ最近は、半袖で過ごせそうな日差しを感じる時がちらほら。

屋久島は小さな島ですが、島の中央には九州一高い山があり、人の居住地は島の外周部だけです。その中央の高い山々の存在が、島の中でも地域によって随分と気候に差を生み出します。 冬、北西の風が吹き付ける北部は寒く、日照時間が少なくなります。南部は山で風が遮られ温暖で、暖かな日差しがあります。

そんなわけで、北部に住む私は、おひさまの温かさが恋しくて、頻繁に南部へと足を運んでしました。信号がほとんどない道を車で1時間ちょっと行くので、結構な距離ですが。 北部と南部で、車の外部温度計でも6度ほど差がある日もありました。

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週に一度は、南部の農家さんでお野菜を買って、温泉に入って身体とお肌を整えて、夜は新鮮なお野菜で作ったご飯を食べる!というのが、わたしにとっての冬の最高な一日の過ごし方。

屋久島にはいくつか温泉があって、しかもとても泉質がいいのです。お値段も¥200とかそれくらいで、絶えず源泉が湧き出る温泉に浸かっていると、島の大地のエネルギーを感じます。いつも不思議なくらいパワーをもらえるんです。そして、この土地の豊かさを身に沁みて感じます。温泉に浸かりながら、島のおばぁたちから色んな話を聞かせてもらうのがまた癒やされるのです。

どれも島の暮らしでは特別というわけではなく、足元にあるものだけれど、とても幸せな気持ちにしてくれます。


先日、そんな冬の終わりを感じさせる日差の下、お散歩していた時のことです。カラスがわたしの頭上の木で、何かをついばみました。その時とっさにとった行動が「からすって言うんだよ」っておしえること。ワンコにですけどね。

あたりまえですが、ワンコはその鳥の名前なんてどうでもよくて、名前なんてものすら感覚として存在してなくて、ただ近くで羽ばたく鳥の音や素早い動きにびっくり、目が釘付けになって、、、きっといろんなことを感じていたと思うのです。

それなのにわたしは、名称を教えるという、意識を頭にシフトする働きかけをした。

それはもう反射的に。

こういうこと、子どもに対しても無意識にしてるんだろうなぁ、と思いました。


だけどほんとは、知識以上に、ただ感じることのほうがもっと大切で。ワクワクや美しさ、五感に浸ることは最初の瞬間がきっと一番きらめく。わたしはマインドにシフトした途端、感じることが少し冷めてしまう気がします。知識はじっくり感じていることを味わってから、その後の方が生きてるって感じがしませんか?


レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」の中の言葉

「わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。…‥‥」

長男が幼い頃にこの本に出会った時、胸の高鳴りを感じました。そして、子どもと過ごす時間を、それまで以上に美しくて尊いものに感じれるようになりました。それは、わたしが見ている世界も。色彩が豊かになって動き出すような感覚。


ふと出会ったカラスをきっかけに、それでもやっぱり染み付いているわたしの思考のクセに気付かせてもらい、ちょっと苦笑いしつつ、、、

こんなわたしですけど、この言葉に出会えたおかげで、わたしと子どもたちとの間の共有した時間にきらめきが増えたように思うのです。

子どもたちが豊かな感受性という土壌の上に、知識という大きな木を育てることができたら、この世界はもっと生き生きと輝くだろうなぁ!と想像します。


読んでくださりありがとうございました。

屋久島より mico





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